新房さんが凄いのは


齢40を過ぎてから、現実路線に転換し、さらに成功したことだ。


王道パターンと言えば、
始めは、現実・現場的な路線で修行して下地を固めて、
実力をつけて、作家主義的な路線に進出する。


押井、幾原、原と言った面々や
最近で言えば、あおきえい長井龍雪、そして山本寛もそのパターンだと思う。
あるいは古くは富野監督の名前もあがるだろう。


もちろん、最初から個性バリバリだった出崎さん・庵野さん・河森さんのような人もいる。


しかし、個性→現実で成功となるとなかなか思いつかない。
なぜかといえば、そういう方向転換をすると、大抵は凡百に埋もれてしまうからだ。
しかも、40も半ばというところからの方向転換である。


新房監督の転換期は、
明らかに「コゼット」「月詠」「なのは」と監督作三作品が乱立した2004年にあり、
作家性を前面に出し、ほぼ妥協せずに作ったであろうコゼットは商業的に惨敗し、
月詠・なのははヒットした。


それ以前の演出家としての新房監督は、どんどんと作品に対する要求が高くなっていることが
特徴的な監督であった。
話題になった「幽☆遊☆白書」、そして佳作の「MIKU」を経て
OVA作品群へ。
そして彼の一つの頂である2001年「ソウルテイカー」1・2話へ。
後半は知っての通りの大失速。


その翌年にエロアニメ界へ。
エロに行って大人しくなったかというと、
まったくそんなことはなく、
竹内哲也ファミリーを使ってやりたい放題。
さらにはヘラスタメンツ(エロでも余裕の実名テロップ)
ゆっけ兄、土方陣ら偽名実力アニメーターなどを
エロアニメに堂々参戦させるなど、
作画リソース使いすぎだろう、という状況。
原画マン参考: http://d.hatena.ne.jp/takeshito/20051003 )

竹内哲也のベストワークに清純看護学院を選ぶ人も、
数年前に見かけましたね。


そして、新房版とらいあんぐるハートリリカルなのはへ。


人脈的にはエロ面子からもコゼットに流れていますね。
というか、コゼットは2004年以前の新房人脈の総まとめみたいなもので、
故鉄羅さんや渡辺あきおさんらも加わってます。


だがしかし、コゼットの商業的敗北。
ここで心機一転、今までの作画リソースをつぎ込んで、
極まった映像を作ろうという路線を捨てて、
ソウルテイカー」の失速の一因とも言われる、
「監督によるコンテの引っ張り」を、
自分ではコンテを切らないという方法論で解決し、
作画リソースをあまり使わないように、演出技法をマイナーチェンジし、
いわゆる「新房シャフト」という手法を確立し、
成功したわけである。


化物語」だの「まどか」だのは
OVA時代の作品を水で薄めたカルピスウォーターのような代物であるが、
昨今、カルピスの原液をとんと見かけなくなったように、
原液をがぶ飲みするんじゃなければ、
最初から薄まってた方が飲みやすく便利というわけだ。



英断、英断だよなぁ。
コゼット・月詠・なのは
という3つの道があって、
一番やりたい道である「コゼット」でもなく、
アニメーターの血が騒ぐ「なのは」でもなく、
月詠」という道を選んだというのは。


あのまま「コゼット」路線かあるいは
エロアニメ界に戻って作画リソースを豪快に使って作品を作ってたら、
今のアニメ業界事情は全然違っただろうなぁ。
シャフトは今でも「G-onらいだーす」みたいな作品を作ってただろうし、
新房は「むらかみてるあき」みたいな存在になってたかもしれない。


世の中、何が起きるかわからないものだ。