「じゃあ、幼馴染が負けフラグになったのも…!」富野御大「それも小生だ」
アニプレッションの
「なぜ、幼馴染ヒロインは負けフラグとなったのか」
http://anipression.doorblog.jp/archives/51380219.html
と
アルファベータさんの
「一体いつから──幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?」
http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130204/1359992971
にインスパイアされて。
ヒロイン論争みたいなものは古くからあるが、
その中で思い出したのがこれだった。
幾原 安彦さんと富野さんは、絶対に相容れないだろうと思う。
なんでかっていうと、安彦さんの作品っていうのは、必ずいわゆるマザコンの極致であったりするわけですよね。
例えば、『アリオン』にしてもそうだし『ヴィナス戦記』にしてもそうなんだけど、
いつも主人公の傍らにいる幼なじみの女の子と最後に結ばれたりするでしょ?
アレってよく考えてみると、非常に気持ち悪い話ですよね。
だから、安彦さんにすると、なぜ『ガンダム』でフラウ・ボウとアムロが一緒にならないのかというのが、
ものすごく気になってしょうがなかったんじゃないかという気がする。
ところが、富野さんの考え方でいうと、そんなのは、幼なじみというのは基本的にいつか離れる物であって、
適当にいいように利用して捨てていくのが男の道だろうなんて思っているんだけど、
安彦さんにはどうしてもそれが理解できない。
「可哀想だろ、そんなことしちゃ」ってそういう思いで女の子を見てるというのかな、
そこら辺の違いじゃないかな。
だから、「ガンダム」でいうと、そういうところが描写されたかどうかは分からないけれど、
セイラ・マスなんていう全然人間としては救いようのないような大人の女性に
ちょっとアムロは惹かれたりするわけですよ。
そういう気持ちっていうのは、安彦さんには全然理解できないんじゃないかと思う。
男性としてみると、なぜかそういう人間の屑の女性に惹かれるか痛いほどよく分かるっていうか(笑)。(逆シャア友の会より)
アニメ業界に絶大なる影響力を与えた富野御大であるが、
幾原邦彦によれば彼は幼馴染ヒロイン否定派だったのだ。
実際にガンダムは上記の通りだし、
Zについても、Z作中ではフォウがヒロインでファは残念ながら敗北(ZZで救済ありだが)
ZZについても、ジュドーはシャングリラチルドレンのエルではなくルー・ルカを選んでいる。
ただし、Vガンダムについては幼馴染のシャクティが一応勝利しているが
不戦勝感も否めない。
(死神シャクティとカテ公の二択とか、本当にウッソは不憫な子。
ああ、あとはルペ・シノおばさんか。不遇さ半端ない)
ともかく、富野さんそしてガンダムにおいては
「幼馴染とくっつくって冷静に考えると気持ち悪い考え方」
「幼馴染は適当に利用して捨てるのが男の道」
これ。
ウッソだって、あと数年したらシャクティなんか捨てて
他のもっとマシな女とくっつくべきなんですよ。
と、いうような考えのガンダムを
「幼馴染こそ至高」
「幼馴染を捨てるとかそんなの可哀想」
「最終的には男は幼馴染のところに帰ってくるものだ」
という考えの安彦さんが描いてたんだから凄いよ。
さらに言えば、
幾原さん自身が割りと「アンチ幼馴染」なところがありますね。
そんな幻想みたいなものに閉じこもるなんて、
生きたまま死んでいるようなもの。
みたいな。
さて、あなたは富野派か安彦派か