ステラ女学院8話!〜構図が示すミライ〜


ステラ女学院8話めちゃよかった!
ストーリー的な面やキャラクター的な面ももちろんありますが、
何よりも、演出面!


3話とあわせて、井畑翔太さんは私の中の「期待の若手演出家」リストに加えておかなくちゃ
と思われる仕上がり。


とにかくスバらしいのが
ラストの構図!


並べるとより顕著ですが、まず目を引くのは
「画面分割」と「ナナメの光」を
マッチカット的に使っているということ。


凛とゆらの二人の間にある「境界」を、
二つの異なった手法で魅せているわけです。


そして、さらに興味深いのは
「画面分割」と「ナナメの光」で凛とゆらの上手下手が逆転している
ということです。


これは、「試合に勝って勝負に負けている
ことの演出であり、
試合に負けた凛は確かに下手に立ってはいるが、
勝負・そして思想的に勝利しているため、
より抽象度の高い「画面分割」では上手にいるわけです。


さらに、立ち位置だけでなく、「方向」という観点からも見ていきましょう。


その前に、例の参考資料を掲載。

引用元:落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』> - HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】


この図の通り、「立ち位置」の他に「方向」というのも
演出では大きな意味を持ちます。
ただ、上記の図の「意味」はあくまで「富野流」のものであり、
誰の演出に対しても引用できるものではありません。


重要なのは「意味そのもの」ではなく、「方向に意味を持たせることが出来る」という事実です。


ステラ女学院ではどうか。


この8話、ひいてはステラ女学院のここまで話数を通してベースにあるのは
「そのら・ゆら・凛」の三角関係です。
そのらと凛という対立軸に、ゆらという第三の要素が入ってくる。
二人の間を揺れ動くゆら。
そのゆらの行く末。


しかし、実は3話の時点で、ゆらが凛の方に近づくことは示されていました
私がそれを実感したのはこの8話を見てから、でしたけどね。


3話を「凛とゆらとそのらの関係性」で見直してみましょう。
まずは凛の登場シーンから

この構図。
これはかなりはっきりとした構図ですね。
三人の関係として、
ゆらは圧倒的に凛の側にいます。
そのらは遠くにいて、凛やゆらの側へはいきません。


そして凛は

(←)の方向へ動きます。
凜はゆらともそのらとも交錯しません。
そしてそのらは(→)の方向へ振り返ります


この動きは実は3話終盤へのフックになっています。
繋がる場面は

これ。
ゆらが棄権したあとの、凛とゆら。
二人が「同じ方向」を向き、「同じ方向」に歩いていくのは、まさに演出。
それを決定づけるのが、

この構図。

C3部 ⇔ 凛とゆら
という立ち位置が明白となっています。
そして

そのらも勿論、C3部側、一番奥に立つことなる。


そう、「方向」としては、ゆらと凛は同じ方向を向いているのだ。


それがリフレインされるのが、8話中盤の

このシーン。
このシーンはブログ冒頭でとりあげたラストの
フック的な役割を担っている。
この「中盤にラストシーンのフックを配置する」のは
井畑翔太さんの演出の癖なのかもしれない。


そしてこのシーンでは、上手に凛・下手にゆら、なのだが、
より注目したいのは「方向」。

3話と同じように、凛は「ゆらの向いている方向」へ歩いていく
二人はぶつかることはないのだ。
見方によっては
「凛はゆらの先を歩いている」
島本和彦先生の力石評でいえば
「凛は『あしたのゆら』」なのだ


このフックを手がかりにラストシーンを見れば、
方向は一目瞭然


凛とゆらの方向は同じ。
しかも、「光」は凛の動く先にあるように見せている。
これは3話、そして8話中盤から示されていた演出の集大成。
これぞコンティニュイティ。


そのら不在の間に、
ゆらは凛の側へと動き続けている。


それをそのらはどう受け止めるのか。
そこが今後の焦点となっていくだろう。
ざらに、過去の凛とゆらの相似性というのもフィーチャーされてくるかもしれない。



それにしても、ゆらちゃんを見ていると、
銀と金」の銀さんの

裏に長くいるとまわりは殺したい連中ばかりだよ
誰でもそうなる・・・・・・・・・
いや・・・・・・・・・
お前みたいなのが一番そう思うようになるよ
殺した方がいいダニども
でも殺すな・・・・・・!
オレたちは世界を広げてなんぼの人間だ!
殺す人間の・・・・・・・・・・・・
世界は広がらない・・・
必ず閉じていく・・・!

という言葉を思い出すなぁ。
ゆらちゃんは
「そう」思うようになってしまった森田
なのかもしれないなってね。
さて、どうなることやら。