「境界」〜ゆらとクエスとロゼッタパッセルと
絶賛クズ認定されまくりのゆらちゃんですが、
俺は、こういう娘が好きなんだよなぁ
そう、クエス・パラヤみたいな娘が!
(初音ミクはクエスのパクリ?)
3歳の頃から逆襲のシャアを見ていて、
クエス惹かれて、今でもこの映画を見続けている。
ゆらはクエスパラヤ的なキャラです。
彼女はニュータイプ的な感性、即ち、敏感すぎる想像力を持ち、
それゆえに周りと巧くいきません。
正確には、彼女は3話で髪を切ることで、クエス・パラヤと近似すことになりました。
では、クエス・パラヤ的とは何か?
これは、藤津亮太さんの解釈が非常に納得したので、それを援用します。
クエス・パラヤは何者か?
(中略)
ちょっと踏み込んで、映像に準拠して考えるとクエスは「境界」がキーワードになるキャラクターと見ることが出来る
(具体例略)
例えば、心理学の言葉で「マージナル・マン」というと「青年は子供の集団にも属さず、大人の集団にも属さない中間の存在であるところから、
不安定な心理状態を特徴とする青年を境界人」を指す。その点でクエスが、不安定故に「境界」を超えてしまうキャラクターとして描かれている
のは整合する。
境界線上に立ち、それを超えてしまう不安定なキャラクター、それがクエスパラヤ。
こう見た時に、大和ゆらもまさに「境界」をさ迷うキャラクターです。
長髪/短髪
現実/幻想
エンジョイ/ガチ
ステラ/明星
ゆらの不幸は、これを中学生の時に越えられなかったということだ。
彼女は他人を拒絶していたため、その機会がなかった。
クエスパラヤはああ見えて13歳の女の子。
子供から大人になる境界。
それは、中2病といわれるものの本質かもしれない
大人であり子供である、大人でもなく子供でもない。
そういう不安定な状況だからこそ、
さまざまな症状が出てくる。
13歳の「境界人」としては、
例えば、「カレイドスター」のロゼッタ・パッセルがいる
9歳にしてディアボロの世界チャンピオンになったロゼッタは、
「精密機械のようなパフォーマンス」「ディアボロマシーン」と揶揄されていた。
彼女は「ミスをしない完璧な技術こそが至高」と考え、
「自分の完璧なパフォーマンスを理解しない観客が悪い」という。
こういう極端な思考、そして責任転嫁も、「境界人」にはありがちだ。
しかし、ロゼッタが幸せだったのは、
「苗木野そら」という女性に出会えたということだ。
彼女は身を張ってロゼッタを「境界」から脱出させた。
その様はまさに
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
の言葉の通り。
彼女には人を引っ張る力があった。
彼女は神話でいうところの『グレートマザー』(藤津さんの逆シャア解説から引用)
それに比べて、クエスは不幸であった。
彼女は伝説のニュータイプであるアムロ・レイに自分の師を求めたが、
アムロからは拒否されてしまう。
そこで彼女はそのライバルでありネオジオン総帥のシャア・アズナブルについていく。
結局のところコレが駄目で、
ガンダムシリーズを代表するロリコンでマザコンのダメンズに、
彼女を救う力はなく、
クエスは破滅してしまった。
シャアは「偽者のグレート・マザー」だったのだ
ゆらはどうなるのだろうか?
彼女にも「苗木野そら」はいない。
そのらは彼女を救ってはくれない。
そういう意味では、そのらはアムロに近い。
ゆらの危うさに気づいていたが、
それに対して何も彼女は手を打たない。
去るのを見ていることしかできない。
では、ゆらの行く先である、榛名 凛はまさにシャアにあたる。
では、ゆらはクエスのように死んでしまうのか?
その鍵は、つまり、榛名 凛に掛かってると言っても良い。
シャアは偽者だったが、
彼女も偽者のグレート・マザーだとは限らない
凛がゆらを導いて、そのらと対峙し、それを乗り越えることが出来れば
ゆらは「境界」を超えることが出来る。
凛の本質は偽者なのか、それとも本物のグレード・マザーになりうるのか。
そこがこれからの見所になるだろう。