藤津亮太さんのレビュー(短評)の書き方講座〜銀河鉄道の夜編〜を受けてきた

またレビュー講座に行ってきました。


今回のお題は『銀河鉄道の夜


私にとっては『逆襲のシャア』『となりのトトロ』と並ぶ、
子供の頃から見続けている作品の一つ。


テーマはいくつか浮かびました。
●原作および原案漫画との違いについて書く
●ケモナー的な要素について書く
●ザネリ論(性別についてや、三角関係など)
●リンゴについてピングドラムと合わせて


で、ここは原作との違いをテーマにすえようと。
というのも、宮沢賢治も好きだし、原案漫画のますむらひろしも好きなので、
良いかな、と。


最初は「アニメ版は幻の第5稿である」みたいな風にしようかと思ったのですが、
ちょっと2000文字に入り切るか自信がなかった。
原作の第3稿と第4稿の違い、さらに漫画でどう解釈したか、そして別役実の脚本を経て
アニメではその先どうなっているか、と
それぞれでも一つ書けてしまえそうな題材。


そこで、アニメの特性や漫画の特性といった部分にフォーカスして書くことにしました。
せっかく、アニメのレビューなので、原作のレビューでなく、
アニメ作品としてのレビューしたいですしね。


そんなわけで書いたのがこれです。

想定媒体:アニメ誌『今だからこそ見たいアニメ100選』


 「メディアの違いを理解せよ」
 原作をどのようにアニメにするかは、日本初のTVシリーズアニメ『鉄腕アトム』以来の論点だ。
この論点において、重要なのは小説、漫画、などの原作となるメディアとアニメの違いを理解すること。
劇場用アニメ映画『銀河鉄道の夜』はメディアの違いを見事に昇華させた名作アニメだ。


 1985年に公開された『銀河鉄道の夜』は、
宮沢賢治の同名小説をますむらひろしが漫画化したものを原案としている。
監督は戦後日本アニメの黎明期から活躍する杉井ギサブロー
脚本は日本の不条理演劇の第一人者である別役実が担当している。
また音楽はYMO細野晴臣が担当しており、この作品の特徴の一つとなっている。


 本作の第一のインパクトは登場人物が猫で表現されていることだ。
ますむらひろし宮沢賢治『猫の事務所』の大ファンであり、
デビュー作から登場人物を猫にしている。これは、小説と漫画というメディアの違いだ。
小説の場合、登場人物の姿かたちは、読者の頭の中にしかない。
一方、漫画の場合は絵として姿かたちが具体化されている。
銀河鉄道の夜』という小説を読んだ時のますむらひろしの頭の中では登場人物の姿は猫であり、
それを漫画として具体化したのだ。


 ではアニメの特性は何なのか。漫画は小説と比べて絵があるが、
アニメはさらに色があり音楽があり声があり動きがある。
情報量が圧倒的に多いのだ。この違いが『銀河鉄道の夜』にも現れている。
顕著なのがモノローグのカットだ。


 原作小説はモノローグや主人公のジョバンニの気持ちの説明が多い作品である。
宮沢賢治はジョバンニに自身を投影しており、
宮沢賢治の内面がモノローグやジョバンニの気持ちとなって現れている。
しかし、アニメでは絵も動きも音楽もあるので、
表現が二重、三重になって、かえってくどくなってしまう。
そのため本作では 、モノローグはかなり削られている。


 例えば、出会い頭のザネリにからかわれるシーン。
原作ではザネリが去った後に「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。
走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかだからだ。」
というジョバンニのモノローグがある。しかし、本作では全部カットされている。そのかわり、映像で表現している。
立ち去るザネリの走り方は確かに鼠のようだし、ジョバンニの心情は、見上げた風景が二重にブレ、
そこにジョバンニの表情が重なるという形で表している。モノローグを映像へと翻訳したのだ。


 小説だろうと漫画だろうと、そのまま一字一句原作の通りにしたからと言って良いアニメになるわけではない。
原作の良さは、メディアの違いを理解し翻訳することでアニメとしての良さへと昇華される。
本文章の冒頭の言葉は杉井の弟子筋の一人である佐藤卓哉監督のライトノベル原作アニメでのセリフである。
銀河鉄道の夜を見て、メディアの違いを理解せよ。

生徒会の一存』1期の「メディアの違いを理解せよ」でフリとオチを作ってみた。
本当は『ストリートファイター2V』と『生徒会の一存』という文言を入れて
説明したかった部分もあるのだけど、長くなるのと、銀河鉄道の夜から離れてしまうので、
最後の段落ではあえてあっさり目にした。



というわけで、藤津さんからの指摘は以下

・原作を小説と読んでいいのかは議論の分かれるところ。児童文学なので、「原作文学」の方が良い。
スタッフィングを「特徴」といえるか。「ほかと比べて際立ったしるし」というと、
 むしろ内容について語った方がいいのではないか。映画音楽初なら特徴といえるが、初ではない。
・ちょっとくどいかな、という部分がある。アニメの表現の部分。

これは、小説と漫画というメディアの違いだ。
小説の場合、登場人物の姿かたちは、読者の頭の中にしかない。
一方、漫画の場合は絵として姿かたちが具体化されている。
銀河鉄道の夜』という小説を読んだ時のますむらひろしの頭の中では登場人物の姿は猫であり、
それを漫画として具体化したのだ。

小説と漫画の違いをここまで段取りを踏んで説明する必要はないのではないか。(当たり前の事なので)
1から10まで全部書きたくなる気持ちはわかるが、
適度に省略した方が良い場合も多い。

しかし、本作では全部カットされている。そのかわり、映像で表現している。
立ち去るザネリの走り方は確かに鼠のようだし、ジョバンニの心情は、見上げた風景が二重にブレ、
そこにジョバンニの表情が重なるという形で表している。モノローグを映像へと翻訳したのだ。

この部分は逆に説明不足。
映像表現が具体的にどういう意味なのかを
説明した方が、「翻訳」ということが伝わりやすい。

どうも、言い回しがクドいのが私の文章の欠点みたいですね。
前回も同じ指摘を受けましたし。


論理の部分は、全部過程を追いたくなっちゃうんですよね。
算式の変形も途中式多めにしちゃうし。
これは癖として認識しないといけませんね。


というわけで、この部分はリライト。


以下書き直し

 「メディアの違いを理解せよ」
 原作をどのようにアニメにするかは、日本初のTVシリーズアニメ『鉄腕アトム』以来の論点だ。
この論点において、重要なのは小説、文学、漫画、などの原作となるメディアとアニメの違いを理解すること。
劇場用アニメ映画『銀河鉄道の夜』はメディアの違いを見事に昇華させた名作アニメだ。


 1985年に公開された『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の同名文学ますむらひろしが漫画化したものを原案としている。
監督は戦後日本アニメの黎明期から活躍する杉井ギサブロー
脚本は日本の不条理演劇の第一人者である別役実が担当している。
また音楽はYMO細野晴臣が担当しており、この作品の魅力の一つとなっている。


 本作の第一のインパクトは登場人物が猫で表現されていることだ。
ますむらひろし宮沢賢治『猫の事務所』の大ファンであり、
デビュー作から登場人物を猫にしている。これは、文学と漫画というメディアの違いだ。
文学の場合、登場人物の姿かたちは、読者の頭の中にしかない。
銀河鉄道の夜』を読んだ時のますむらひろしの頭の中では登場人物の姿は猫であり、それを漫画として具体化したのだ。


 ではアニメの特性は何なのか。漫画は文学と比べて絵があるが、アニメはさらに色があり音楽があり声があり動きがある。
情報量が圧倒的に多いのだ。この違いが『銀河鉄道の夜』にも現れている。顕著なのがモノローグのカットだ。


 原作はモノローグや主人公のジョバンニの気持ちの説明が多い作品である。
宮沢賢治はジョバンニに自身を投影しており、宮沢賢治の内面がモノローグやジョバンニの気持ちとなって現れている。
しかし、アニメでは絵も動きも音楽もあるので、表現が二重、三重になって、かえってくどくなってしまう。
そのため本作では 、モノローグはかなり削られている。


 例えば、出会い頭のザネリにからかわれるシーン。
原作ではザネリが去った後に「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。
走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかだからだ。」
というジョバンニのモノローグがある。このセリフは傷ついたジョバンニの強がりを表現している。
しかし、本作では全てカットされている。そのかわり、
ジョバンニが見上げた風景が二重にブレていき、そこにジョバンニの表情が重なるという映像が入っている。
これはジョバンニが涙を堪えていることを表現しており、オルゴールのような音楽も相まって、
ジョバンニの傷心と強がりが伝わってくる。モノローグで表現されていたことが映像へと翻訳されているのだ。


 文学だろうと漫画だろうと、そのまま一字一句原作の通りにしたからと言って良いアニメになるわけではない。
原作の良さは、メディアの違いを理解し翻訳することでアニメとしての良さへと昇華される。
本稿の冒頭の言葉は杉井の弟子筋の一人である佐藤卓哉監督のライトノベル原作アニメでのセリフである。
銀河鉄道の夜を見て、メディアの違いを理解せよ。

と、こんな感じにしてみました。
映像演出をいかにして言葉で表現するかは、今後の課題だなぁ。



あと、藤津さんから「設定資料集に絵コンテが全部収録されている」という情報を得たので
アマゾンで購入。
いやぁ、これ面白いなぁ。
コンテ段階では杉井さんは「11匹のねこ」みたいな絵で描いていて、
ほかの人もそれを基調に描いているのですが、
小林治さんは全然違う立体的な絵で描いていたり。
タイタニックのあたりは、
画面でもAプロ調のキャラになっていますしね。


各コンテマンに独立して発注していたという話ですが
もちろん、杉井さんのコンテ修正もばっちり入っていて、
ピングドラム」にも影響を与えた、
「リンゴ」の分身のシーンは杉井さんの修正パートの模様。


今回もいろいろと勉強になりました。