君の名は。についてのメモという名の叫び
(注意:ネタバレとか気にしないで書きます)
噂の『君の名は。』作品評を読んでしまった。
新海誠というアニメーション作家の独創性、新しさを理解するうえでほんとうに重要なのは、かれがゼロ年代という固有の時代、そしてアニメ以外のオタク系コンテンツという固有の領域とが交錯する地点で出現したイレギュラーの才能であり、だからこそ、たとえばジブリ(宮崎駿、高畑勲)から押井守、庵野秀明を経て細田守にいたるような、戦後日本アニメ史の正統的な文脈やレガシーをじつはほとんど共有していない、いわばアニメ界の「鬼っ子」的存在だ
というやつだ。
この文章の中身についてに細かくは言わないけど
あの糸森町の草木に東映動画から名作劇場、そしてジブリを経て繋がるDNAが感じられなかったのか?
仕草で人物の内面を見せる細やかな芝居に、森やすじさん・近藤喜文さんから流れる芝居作画のDNAを感じなかったのか?
翻るスカートのそのプリーツのはためきに、うつのみやさんから電脳コイルを経て伝わるリアル作画のDNAを感じなかったのか?
宮水神社のご神体の前に流れる川のきらめきに二木真希子さんが見えなかったのか?
冒頭シーンのカメラワーク・レイアウトに板野一郎のまなざしが見えなかったのか?
爆発のエフェクトに、庵野さん、本谷さんから流れてスチームボーイを経由する輝きが見えなかったのか?
時折見せる顎のアオリにタツノコから谷口さん、湖川さんらを経てつながる立体感が見えなかったのか?
確かに新海監督は『秒速5センチメートル』まではある種の異端だったかもしれない。
しかし、『星を追う子ども』で日本のアニメの過去について意識的に模倣をしている。
(https://www.anikore.jp/features/shinkai_2_6/)
パンフレットにも『星を追う子ども』からの意識の変化、「古典」を取り入れることが新海監督の口から語られている。
『君の名は。』では紐のモチーフが時間へと連想されて描かれている。
これは新海監督が、日本のアニメ史を含むこれまでの様々歴史と繋がっていることを自覚しているとしか考えられない。
東映長編から日アニ、ジブリへと繋がるその古典的・普遍的な要素の取り入れは
これまでも散発的に行われてきた。
『君の名は。』のキャラ造形はそれを彷彿とさせる。
それが例えば、『ゼーガペイン』。
『君の名は。』の安藤雅司さんがジブリを抜けるのと前後してジブリのメインアニメーターとなった山下明彦さんが
キャラクターデザインを務め、ジブリ的なキャラ造形になっている。
↑『ゼーガペイン』
↑『君の名は。』
山下さんは『ゲド戦記』の制作へ参加するため、『ゼーガペイン』の実制作には参加していないが、
それによって、ジブリ的なものとサンライズ的なものの「融合」がより行われることとなった。
あるいは連想したのは『銀色の髪のアギト』
↑『銀色の髪のアギト』
原案は『天空の城ラピュタ』の演出助手を務めた故・飯田馬之助さん。
賛否両論の作品ではあるが、キャラ造形に関してはジブリハイブリッドの一つの道を示した。
(また、『アギト』のアバンシーンとよく似たシーンが『君の名は。』にもある。
板野一郎のDNAの為せる業か)
『君の名は。』の映画終盤には新海監督の過去作品のモチーフが次々と登場する。
その解説は新海ファンに任せればいい。
むしろ、『君の名は。』ラストカット。
ラストカットの背景美術はこれまでの新海美術のような「煌びやかさ」はない。
むしろそこにあるのは素朴なリアリティに寄り添った東映長編からジブリへと繋がるラインだ。
糸を縒り集めて作られた紐、『君の名は。』とは日本アニメ史の「紐」なのだ。
P.S.
奥寺先輩、めちゃくちゃ既視感あるんだけど、ジャストで思い出せない。
紅の豚のジーナか、、、?
安野モヨコ作品か、、、?
いや、もっとストレートな既視感が、、、、
この美術部ちゃんと帰宅部活動記録ちゃんくらいのが、、、、
思い出せない、、、