シナジー萌えという考え方

相乗効果(シナジー)とは個々の成果の合計(もたらされた結果)が、
効果前の個々の実績の和よりも大きくなることである。

                                 スティーブン・R・コヴィー

さて、先日のあるustで「キャラクターそのものよりも関係性を見るのが好きだ」という話をしたところ
この「関係性」という言葉の定義が色々であることが分かった。


そこで、さらに進んで「なぜ関係性を見るのがすきなのか」を考えてみた。


その結果が、タイトルのそして冒頭の言葉、
「相乗効果(シナジー)」
だ。


シナジーというものを簡単に説明しておこう。
冒頭の言葉の通り、
個々の能力を足したものよりも、組み合わせた能力の合計が高い場合に
シナジーがある、という。


ビジネスの場や、企業のM&Aなどに関連して使われることが多いが、
他にもゲームなどでもこの表現が使われる。


例えば、シナジーの説明としては、
カードゲーム・マジックザギャザリングのWIKI
http://mtgwiki.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%BC
が面白いので一部引用してみよう

例えば、カードAの効果量を4、カードBの効果量を2として、その和がいくつになるか、という考え方である
(中略)


シナジーを持つ
4+2が7以上になること。


シナジーを持たない
4+2が5や6になること。


関連性を持たない
4+2が4と2のままであること。


ディスシナジーを持つ
4+2がそれ以下(0や時にマイナス)になること。


これが唯一の定義ではないだろうが、なかなか面白い。
マジックザギャザリングが分かる人は、リンク先の具体例を見るのも良いだろう。


この定義の面白いところは、「シナジーを持たない」や「関連性を持たない」も定義しているということだ。
つまり、この二つも立派な「組み合わせ」であり、
広義の「関係性萌え」というものを定義するならば、これも当然入ってくる、ということだ。


では、その中で何に興味を持つかといえば、
私の場合は「シナジーを持つ」関係であり、その「シナジー力(ちから)」だ。


例えば、上記のマジックザギャザリングをキャラクターの関係性に適用してみよう。


Aというキャラクターの魅力は自分にとって4であり、
Bというキャラクターの魅力は自分にとって2であるとしよう。

それぞれの魅力は4と2であり、
他に10というキャラクターがいたら、
そのキャラが「一押し」のキャラクターということになる。


しかし、シナジー的に考えると
この二人が、物語に登場し、シーンを構成したときに、どうなるか、が問題である。


シナジーが無ければ、二人の価値は足しても
4+2=6である。
しかし、シナジーがあるとどうなるかと言えば、
4+2=12
とかになるのだ。
ここで生み出されるシナジー力は12−6=6ということになる。


私はこの「6」に非常に魅力を感じる。
というかこの数値こそが魅力のパラメータだと思っている。


そして、この個々の魅力以上のものが生み出される仕組みこそが、
物語の力であり、演出の力なのだ、と。


直近のアニメの具体例であれば、
例えばラブライブだ。


個々のキャラの魅力で言えば、私にとっては
ほのか・ことり・うみの2年生トリオの方が、
まき・りん・はなよの1年生トリオよりも正直上である。


ほのかは、片鱗に見せる「カリスマ性」と「お気楽不動心」が大器を予感させるし、
ことりは何か裏がありそうで、キャラとして面白いし、
うみの妙な自意識とかも見てて面白い。


何より、2年生トリオは1年生トリオよりも声優が巧い。
1年生トリオははっきり言って個々で見ると声優の粗が目立つ。


しかし、である。
3人のセットで考えると逆転する。
3人セットである限りにおいては、1年生トリオの方が好きだ。


1年生トリオはそれぞれの声優は下手だが、
3人がタイプのまったく異なる声であることによって、
下手ささえも味になっている。


昨今の「量産型」ともいえる、似たりよったりの声を集めた女の子集団では
この良さは出ない。
3人セットであれば、このくらいそれぞれに特徴があった方が良い。


また、性格的にそれぞれを補完し合ってるのが良い。
2年生トリオはそれぞれでも、それなりに自分のやりたいことをやるだろうが、
1年生トリオは、この3人の組み合わせでなければ、
何も出来ないのではないか、と思わせるところがある。


花陽は元来の引っ込み思案、リンは女の子っぽくないことへのコンプレックス
そして、ほのかがどんなに押しても、曲を提供するのみだったまき。


まきについては特に面白い。
ほのかがどんなに勧誘しても、何とか曲を作ってもらうのが精々だったが、
花陽とリンがいることで、
「自分から」アイドル活動をすることになったのだ。
「北風と太陽」の変形版とも言っても良い。


だから、5話のOPを見たときに、
それまでとはまったく見方が変わってしまって、
このカット

とか、
もう最高なカットだなって、ちょっとウルっときてしまった。
4話のOPで見たときはまったく意識していなかったのに、だ。


それはまさに「シナジー前」と「シナジー後」だったのだろう。


私はこういう、感動を見つけるために、
アニメや演劇を見、現実社会を生き、色々と人間と出会っているかもしれない。