解答:アニメが総合芸術だから

グダさんの
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090504/1241368489#c
を経由して
設問;アニメ感想はなぜ批評に近くなるのか
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20090501/1241145763
に応えてみた。


(ちなみにこの問題についてグダさんを例にあげるのは不適当です。
なぜならグダさんはガンダムの専門家みたいなものだから。
富野に対してグダさんよりシンクロしてる人はそういないでしょう。
だから「ガンダム周辺」に限ってはまさしく評論家レベルなので、評論して普通)


さて、答えはタイトルの通り、
「アニメが総合芸術だから」
です。


これにはポジティブな面とネガティブな面とがあります。
まずポジティブな方から


★アニメは話題にすべき要素が多すぎる。
まあそのまんまです。
ラノベならストーリーについてだけの感想を書けばいい。
でもアニメの場合は
・ストーリーについて
・絵について
・動きについて
・声優について
・演出について
・音楽について(http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090429/1241037672
・CGについて


と盛りだくさんである。
これらそれぞれの感想書いてるだけで、
文章は「評論」じみていきます。


さらに、ラノベや漫画なら作者は一人、
映画でも基本的に監督だけ語ってればOKなところがありますが、
アニメの分業制を考えると、どんなに少なくても
脚本家とキャラクターデザインと監督には注目せざるおえない。


ラノベの感想でも、「最近○○の小説つまんないな」とかはよく書いてある事。
それをアニメでやれば、最低でも三倍は書くことになる。

そんなわけで、きちんと「アニメの感想」を書くと、それだけでかなりのボリュームになってしまう、
よって評論に近くなってしまうわけです。


★アニメには解釈の余地が少ない。
こっちはある意味ネガティブな理由。
情報量が桁違いに多い分、そこに解釈の余地はほとんどない。
本や漫画であれば、まだ「自分はこう読んだ」という感想が書ける。
それを読んで、「ああ、そういう風に見たのか」、という反応が返ってくる。


でもアニメくらい情報量があると「正解」に辿りつけてしまう。
逆に言うと「○○という理由でその解釈はおかしい」と言えてしまう。


しかも映画と違って、不確定要素が非常に少ない。
映画の場合は予期せぬもの(雲の形とか木の葉とか風とか)がまだあるが、
アニメの場合は「描いたもの」しか画面に映らない。


すると、自由に解釈を書いても否定されることもあるし、
何より、「正解」へのヒントが多いので、誰でも正解に近づくことが出来る。
とすれば、必然的に「個人の解釈」=感想は「正解の解釈」=評論へと
変貌を遂げる。


「私はこう思いました」から「私はこれが正解だと思いました」へ


「アニメは小説に比べて、想像の余地が無いから想像力が養われない」
というのは大嘘です。
想像の余地が無いからこそ、最大限に頭を働かせて正解にたどり着く必要がある。
あらゆる解釈を想定し、それを検証して行かなければならない。


そういう意味では東なんとかの
「(アニメ評論に対して)ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する」
というのは非常に本質を突いた発言でしょう。


それは数学のテストで計算ミスして答えが違ってしまうのと同じ事なのです。
東なんとかの大好きな哲学のように、決まった正解がない問題ではない。
そこには決まった正解があると、少なくともアニメ周辺の人間は考えている。
だからミスはミスなのです。