95年以前についてのメモ〜アニメバブル崩壊後について

(エピソードゼロさんの
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20091129
にインスパイアーされて。)


2009年の観るべき遠景は1995年ではなく、
1989年とそれ続く90年代前半じゃないかな、という話。
そのために一世代前の「アニメブーム」についてみていく。


ヤマトはヒットに時差があった。
ここでは映画の1977年を採用し、これをアニメブームの起点としよう。


1978年のTVアニメのラインナップ
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1978%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1
さらに
爆発の年1979へと続く。


劇場版銀河鉄道999
劇場版エースをねらえ
カリオストロの城
そして機動戦士ガンダム
続々と作られるヤマトの続編


ここでの特徴はアニメ様も言うとおり
「テレビ漫画」から「アニメ」へのという流れ。
宮崎駿はもう古い」と言われていた時代だ。
http://www.style.fm/as/05_column/animesama67.shtml
が参考になる。)
つまり、アニメブームを語るには
その前の「東映動画」という巨人の存在も忘れてはならないということ。


アニメブームの終焉をどこにするかは意見の分かれるところだが
この「アニメ」という言葉を尊重すると
逆襲のシャア」によりガンダムが一時の終結を見せ、
魔女の宅急便」で宮崎駿が「さらば宇宙戦艦ヤマト」の興行成績の記録を塗り替えた
1988年・1989年あたりを完全な終焉としたい。


逆襲のシャア」については庵野秀明の「あれはアニメの葬式だったんだ」
というセリフも考慮に入れたい。
ヤマト・ガンダムから始まった「アニメ」ブームは終焉を告げ、
10年前に「時代遅れ」の烙印を押された宮崎駿
アニメージュの全面支援の元、見事に返り咲いた。


別に宮崎駿が悪いわけではないが、
ここからの時期はアニメの冬の時期になる。

この時期一番人気のアニメは「ドラゴンボール
そして「ちびまる子ちゃん」と「クレヨンしんちゃん
長寿番組「忍たま乱太郎」が始まったのもこの時期だ。
漫画原作。
まさに「テレビ漫画」時代の再来だ。


庵野がこの時期「おにいさまへ・・・」と「Vガンダム」以外に観るものがなかったと言ったり
あるいはガイナックスが仕事中にみんなで熱狂的に「セーラームーン」を観ていたのも
この時期。
あるいは「天地無用」について「非常に新鮮だった」とアニメ様が発言したのもこの時期。
この時期のアニメオタクがいかに「アニメ」に飢えていたかが分かるだろう。


象徴的な出来事としては、同時にディズニーの復権もある。
80年代末から「リトルマーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」
とヒットを連発。ここらへんは誰でも名前を知っているレベルだろう。


ちなみにアメリカでの復権
1988年の「オリバー ニューヨーク子猫ものがたり」
からだと言われている。


アニメブームは終焉し、「テレビ漫画」の時代が続く。
そう「エヴァンゲリオン」の登場まで。


こう観てくれば、現在の「原作付きだらけの状態」をどこに見るか言えば、
やはりアニメブームが終焉した90年代前半に観るべきだろう。
エヴァに「逆襲のシャア」をみるのはそんなに的外れでないように感じる。
誰もそんなこと言ってないのが不思議でならない。


ではこの先どうなるか。
とにもかくにも「新エヴァ」による葬式は行われた。
逆シャア」という葬式の灰を肥料に「旧エヴァ」が出てきたように、
「新エヴァ」の灰を肥料に新たな芽が出てくるのを待つしかない。


そういう意味では、いつまでも「エヴァ」の死骸を追いかけていては駄目。
それはもう死んでるだということを理解しなきゃいけない。
それが理解されるまで、5年はかかるだろう。


つまり、2010年代前半はまるまる葬式!


その横で90年代前半に「宮崎駿」が演じた役割を
細田守」が演じるのだろう。


アニメバブルよありがとう!
5年後また、会いましょう。