とある科学の超電磁砲9話〜サテンの心とカメラの不安定感
サテンの心情表現と黒子の脚(アクション)がメインとなる今回。
サテンの心情表現の方を見ていきましょう。
カメラがあっち行ったりこっち行ったり。
特にスカートめくりのカットが異様。
続くシーンも
カメラが非常にいろんな方向に動いている。
風力発電所の位置からカメラの動きを追えるので、試したいかたはどうぞ
サテンと御坂のやりとりも
間にお守りのアップのカットが入ってるとはいえ、
ここでもカメラが回り込んでます。
サテンの迷いを示すカット割りと言っていいでしょう。
この手摺の柵を「能力者と無能力者の壁」のメタファーとして見ることも出来る。
その証拠に「無能力の友達」は当然、柵のサテン側から登場する。
まだまだ続くよ〜とある科学の超電磁砲・上手と下手と暴力性
さて、今度はkarimiさんの記事
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20091121
でも触れていた上手下手という観点から見ていく。
まずは脱ぎ女の動向だ。
脱ぎ女は最初は右側にいます。
前回からの引きで一応味方ですからね、「脱ぎ女」は。
その状況が変化するのがサテンの登場。
サテンの登場でカメラが移動するというのは、前項の話だけではありません。
これで、
サテン・脱ぎ女 ⇔ 黒子・御坂・初春
というわかりやすい構図になる。
敵に回りそうな怪しい二人が左側に陣取るというわけだ。
サテンの心情表現でも面白いところがある
左側への「助けに行かなくちゃ」という動き
右側への「でも無理だよね」という動き
そして「やっぱり助けなくちゃ」という動き
左側の困難へと右から向かう構図。
そして、ヤンキーにとっての困難が左側くる。
ジャッジメントですの。
黒子の暴力性はむしろ下手(左側)にこそふさわしい。
例えば、8話での御坂VSスケバンのアクションシーンも思い出してほしい。
あれも御坂が下手(左側)にいましたね。
御坂の暴力性、黒子の暴力性
だからここでは一般的な「主人公側が上手」という理屈を超えて、
「暴力的な方が下手」という理論でことが進んでいく。
さて、しかし黒子もずっと下手にいるわけではありません。
黒子の暴力性の優位が崩れる場面で入れ替わります。
ここ。
ただの脚フェチ演出じゃなかったんですねw
この構図が崩れるのは再び黒子の暴力性が優位になる時。
それまでは上手にいます。
↑これなんかはカメラの移動を意味するカット。
破片が外に飛んでいるので、回り込んでいることがわかるわけです。
カメラが回りこめば
外のヤンキー ⇔ 中の黒子
と左右を維持できます。
だが紆余曲折あっても最後は
左側に立った黒子が圧倒的な暴力性を見せ付けて勝利。
ここで下手に立つのが、「勝利フラグ」というわけです。
とある山内重保の超演出〜ダイジェスト版
追記的まとめ
常道とは外れた演出であることは確かだろう。
山内重保らしいが、普通の理屈ではない。
例えばアップ多用についてもそう。
「引き」で魅せるのがテクニカル、という現在のトレンドだし、
当の電磁砲1話がそれだった。
猫鍋の人も「アニメではアップにすると情報量が落ちる」と言っている。
だけど、アニメ様の
>小黒 今、TVが大画面になって、アニメも大画面対応で作らなきゃいけなくなってきて、
>どちらかというとカメラを引いた画作りになってると思うんですよ。
>でも、今回の『キャシャーン』は逆に寄る事によって大画面をもたせられないか、
>という新たな回答を出してましたよね
という言葉の通り、山内監督には山内監督の答えがある。
それがしっかりとこの電磁砲にも反映されていたというのは、
非常に興味深いことだ。
つまり、見る側も新しい「物差し」の出現に
敏感にならなければならない。
この感度が鈍れば、「○○演出という語り口は保守的」などという
無能で無名の演出家のやっかみを受け入れるしかないのだから。