追記的まとめ

常道とは外れた演出であることは確かだろう。
山内重保らしいが、普通の理屈ではない。


例えばアップ多用についてもそう。
「引き」で魅せるのがテクニカル、という現在のトレンドだし、
当の電磁砲1話がそれだった。
猫鍋の人も「アニメではアップにすると情報量が落ちる」と言っている。


だけど、アニメ様の
>小黒 今、TVが大画面になって、アニメも大画面対応で作らなきゃいけなくなってきて、
>どちらかというとカメラを引いた画作りになってると思うんですよ。
>でも、今回の『キャシャーン』は逆に寄る事によって大画面をもたせられないか、
>という新たな回答を出してましたよね


という言葉の通り、山内監督には山内監督の答えがある。
それがしっかりとこの電磁砲にも反映されていたというのは、
非常に興味深いことだ。


つまり、見る側も新しい「物差し」の出現に
敏感にならなければならない。


この感度が鈍れば、「○○演出という語り口は保守的」などという
無能で無名の演出家のやっかみを受け入れるしかないのだから。