無能力について〜電磁砲とウテナ〜


エピソードゼロさんの
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20091125
を見て、
電磁砲はいわばウテナの黒薔薇編なんだと理解した。
若葉=サテン


ウテナのライナーノーツから面白い対談があるのでちょっと引用





橋本:特別な人がどうして「特別」かというと、何かが欠けて特別になっているわけですよね。マイナスの意味で「特別」なんですよ。若葉とかは、特別な人に憧れるんだけど、その特別な人達はじつにシンドイ目にあっている。


風山:若葉は、自分の生活にも内面にも欠けているものがない。


橋本:欠けてないですね。それは幸せなことです。


風山:自分にとって「大切なこと」だけ思い続けて生きていくことが、どれだけ大変なことか。普通は他人に依存したり、考えを共有することで、一種のやすらぎとかを得るんだろうけど、『ウテナ』という作品は、そういうものを一切排除していますよね。
だから、コンテを描いていて辛いのかもしれないけど(笑)。


錦織:自分の作業が終わってから感じたんですが、『ウテナ』では各キャラがそれぞれの立場で「特別なもの」を追い求めていますよね。だけど追い求めるけど、届かない。「世界の果て」というのが、その行く着く先としてあるのかもしれない。
その「特別なもの」って、誰もが多少は求めているものなのかもしれないけれど。


風山:「大切なもの」を他人に求めることってありますよね。でも「自分のことが大切」だということに対して無自覚な人が多すぎると思うんです。「誰かのため」とかいって、自分以外の第三者に自分の在り方、生き方の責任をあずけてしまう。そういうのって不健全だと思うんです。
本当は何が大切なのかと考えたら、自分が幸せをつかむ、自分が欲しいものを手に入れることじゃないかと思うんです。樹璃や幹や冬芽や西園寺もそうなんじゃないかな。だから、そういうことを題材にしたり、物語の本質にしたりすると、作り手側でも、どこかで葛藤が起きてくる。だから、僕なんかは辛いのかもしれない。



風山=五十嵐卓哉
橋本=細田守
錦織=錦織博(インデックス監督)


という今思えば非常に面白いメンツ行われた対談。
(全文はhttp://kasira.blog97.fc2.com/blog-entry-49.htmlで見られる。)


電磁砲でいえば、サテンには生活にも内面にも欠けているものがない。
「特別な人」に憧れているだけで、それを渇望しているわけでもない。


「パーソナルリアリティ」の話もこれを読めば非常にわかりやすい。