出崎統監督をちょっと違った視点から見る
出崎監督といえば、その強い個性
そして圧倒的なバイタリティが有名である。
例えば、脚本家との激しい争い、
TVシリーズでの絵コンテの本数の多さ、
背景・撮影スタッフに対する別次元とも言える高度な要求などなど
まさに「アニメの帝王」たらんという風格がイメージされる。
しかし、その一方で実は後進の育成にも力を入れていた。
入れていた時期があったと俺は見ている。
それが80年代の事だ。
森本晃司のインタビューによれば、
あしたのジョー2においてすでに「若手に任せる回」
などを作っており、
その傾向は80年代後半にかけてさらに強まる。
この時期の1番弟子が竹内哲雄さん、2番弟子が大賀俊二さんと言ったところか。
出崎の生涯でこの時期は「総監督」や「共同監督」という肩書が多くなっている。
当時のアニメオタクの間ではひょっとしたら
「出崎枯れたな」
的な事が言われていたかもしれない、と考えるとちょっと面白い。
出崎監督が枯れていないことは、歴史が証明している。
合作が多くなったこともこれと関係しているかもしれない。
そして、その出崎の「教育熱」がもっとも高まったのが
「エースをねらえ2」なのではないか、と踏んでいる。
この「教育熱」と「エースをねらえ2」という作品の相性がまた抜群。
あるいは、80年代の出崎は、
他の作品をやりながらも宗方仁や桂大悟、そしてひろみの事が頭から離れなかったのかもしれない。
「エースをねらえ2」という作品は、出崎統監督にしては絵コンテ率の非常に低い作品である。
12話中、出崎コンテは最初と最後の2話ずつの計4話。
TVシリーズでも70年代の宝島で8割、
90年代のおにいさまへでほぼ9割の絵コンテ率を誇る出崎統とは思えない少なさである。
しかし、その一方で、
出崎が「絵コンテも若い人達が頑張ってくれた」
と言っている演出家への影響も大きいものだっただろうと思う。
出崎監督、しかも「エースをねらえ」だ。
絵コンテマンには、
ゴシック・HEROMANの難波日登志さん
ミスターアンパンマン・矢野博之さん、
戦う司書あるいは黒執事の篠原俊哉さん、
lainの中村隆太郎さん
あと、何気に演出処理に個人的に好きな演出家である
小林孝志なんかもいたり。
声優も新人の水谷優子を大抜擢したり
今月のスタッフ表を見たって、
上記の難波さんに篠原さん、
矢野さんはアンパンマンあるし、
それ以外にもカイジ高屋敷さん、
カイジ・XMENとなぜか4本も絵コンテやってる川尻さん
いろはの安藤さん・・・などなど
財を残すは下、業を残すは中、人を残すは上