ギャラクシーエンジェルシリーズ中屈指の不条理エピソード 「さよならぼくらの土瓶蒸し」
GAベストエピソードキメのためのリマインダー
この話数は、シリーズ最強と言っても過言ではないでしょう。
3期15話「さよならぼくらの土瓶蒸し」
例えば、
ギャラクシーエンジェル研究所を見れば
第15話「さよならぼくらの土瓶蒸し」
* サイト「オフィス:ぎんがみ」にある、脚本を担当された金巻兼一氏の11月24日の日記に、脚本が使われていないと記される。
http://adr.s201.xrea.com/ga/3/3staff/memo.html
* ブロッコリーの「アニメギャラクシーエンジェル」公式サイト12月5日更新で、演出サイドの大幅な脚色があり「特に他アニメ作品を揶揄するような表現が加えられ」たこと等、金巻兼一氏はじめ関係者に謝罪する「お詫び」をアップ。クレジットに脚本家表記と併せて脚色表記を載せるとのこと。
こういう顛末。
絵コンテの原博さんが改変したといわれている。
この改変こそが、ギャラクシーエンジェルが「ハイテンションSFギャグアニメ」から
「不条理ギャグアニメ」へと変貌する第一歩といえるだろう。
原博さんは亜細亜堂・アニメーター出身の絵コンテマン。
ドラえもんの原画マンとしては劇場版の常連でもある。
そのせいか
どこでもドアのパロや
衛兵がパーマンヘルメット的なものを被っていたり。
そもそもこの話数は構造からしてカオスだ。
ウテナを思わせる影絵+おとぎ話のメタ構造で始まったと思いきや
最終一個前のカットでは
だし、
そもそも影絵の
娘「私わかったわ、やっぱり人間は顔ってことね!」
母「それは違うわ。見た目の美しさはいつか衰えるもの。
最後にものを言うのは、お金よ」
という、普通であればメタ的なオチとも言うべき会話が、
まったく本編の内容と無関係ですw
お金の話は一切出てきません。
つまり、メタ構造と見せかけて、メタでもなんでもない
まったく関係ないものが並列しているのです。
さらに、本編の方も、これまでGAにおいて、
不条理の中の最後の「論理」であった
ロストテクノロジーという要因が、この話ではまったく機能していません。
GAというのは、ここらへんまでは、
バンダイチャンネルの氷川さんの解説の通り
紛れもなく「SF」であり
「SFのお題をギャグ方向へエスカレートさせて、
脳の中にある固定観念をぶち壊すような作品」
であった。
しかし、この話数においては、
その「SFとしてのGA」という固定観念すらぶち壊している。
その意味で「この話は、ミルフィーユがなんでこんなに笑っているのかわからない」
という某所の批判はまったくその通りで、
ついにGAはそんなものにロストテクノロジー=SFで理屈をこねることをやめてしまったのだ。
そして演出も(まあ演出サイドが脚本を改変しているのだから当然であるが)
「論理」がないことを前提に映像を構築していく。
話に論理がない分、映像は論理という縛りから解き放たれ
自由奔放に画面を構成する。
半パートであれば、これでもたせられるというのが意気込みを感じる演出が心地よい。