たまこまーけっと1話のアバンの作画に関する考察

たまこまーけっとのアバンの作画素晴らしかった。
特に1カット目と2カット目である。
これは、田中宏紀の作画を初めて見た時に以来のショックがあった。
ただ素晴らしいというだけではない、エポックであった。



何がエポックだったのか。


1、中割りなしの2コマ全原画、「フル2コマ」であった点
2、3DCGでもロトスコープでもない、手描きでしか出来ない動きの発想をしている点
3、三人のキャラクターがそれぞれアイデンティティを持った動きをしている点
4、アニメらしいポーズで作っていく作画(演算系)でなく
  タイムライン的な書き送りであった点

ざっと思いつくだけでこれだけある。


まず、1について。
私はこのアバンの1カット目2カット目を見た時にある種不思議な感覚に襲われた。
それは
「こんなに『動いている』アニメ、動きの密度のある作画をいたことがない」
という感覚だ。
私にとってこの密度は初体験であった。
ディズニーでもジブリでも磯光雄さんでも松本憲生でも見たことがない。
そういうものだった。


その正体はなにか。コマ送りをしてみた。


既にある知識として、スーパーアニメーター磯光雄の発明に「フル3コマ」という手法がある。
この手法について、一般に情報が公開されたのが、
WEBアニメスタイル井上俊之さんのインタビューだ。

井上  その後、多分、時間はそんなに隔てないで、磯君のやった『ピーターパン』を観る事に
   なるんだよ(注27)。それはもう、はっきりと、リミテッドじゃなくなってたね。
   あるキャラクターが怖がって何か蓋のようなものを頭に被るという芝居だったんだけど、
   今まで俺が描いてきたようなやり方では描きえないような動きになっていた。
    どうやって描いているのかと思って、ちょうどその回の作監だった沖浦(啓之)君に訊
   いたんだけど、「なんか全部、原画で描いていたよ」と言うんだ(笑)(注28)。
   それを聞いて、「そんな描き方があったのか!?」と思ったね。と同時に
   「そんなやり方で動きをコントロールできるのか? 本当に描けるのか?」とも思った。
小黒  それについては当時、磯さんに直接伺った事がありますよ。それを磯さんは「自分が発
   明した『フル3コマ』だ」って言っておられたと記憶しています。『おもひでぽろぽろ
   のドン・ガバチョも、同じ手法じゃないですか。
井上  ああ、そうなんだ。確かに、あれは一種の発明に近い。それ以前にはどんなに巧い人で
   もそういう発想はなかったからね。それに、そもそもフル3コマで描くべき動きを
   イメージしていないから、フル3コマである必要がなかった。頭の中にあるイメージが、
   全原画を必要とする動きじゃなかった。遡れば、昔のディズニーにはあると思うんだけ
   ど、それを除けば、そういう複雑な動きを誰もイメージしてなかった。
   それまではみんな、中割りを入れた、ある程度リズムのある動きだった。

http://www.style.fm/as/01_talk/inoue03.shtml

(注:ここでいう「磯君のやった『ピーターパン』」というのは
   世界名作劇場の一つの『ピーターパンの冒険』のことで、ディズニーは無関係です。)

フル3コマとはつまり、「3コマ作画の全ての画を原画が描いてしまう」という手法だ。
インタビュー内で書かれているように、
スタンダードな日本のアニメの作画というのは、
原画としてキーとなる画を描き、動画でその間を割って中割りを作る、という手順で行われている。
原画マンが英語では「Key Animator」であり、動画マンは「inbetween animator」であるというのは
日本語の表記よりもそれを如実に表しているだろう。


コマ数は何コマに一回絵を入れるかという意味だ。
1秒間は24コマであるので、もし1秒間に24枚の絵を入れるのであれば、
それは「1コマ作画」となる。
ディズニーなんかはこの「1コマ作画」であるが、
日本のアニメは伝統的に「3コマ作画」つまり、1秒間に8枚絵が入ることを基本として
作られている。
ディズニーが日本のアニメ比べて「滑らかに」動いているのはこれが主な要因だ。
人によっては、「1コマ作画」のことを「フルアニメーション」という場合もある。
つまり、動きの密度をフルに使っているからだ。


つまり、磯光雄さんの発明である「フル3コマ」というのは、
3コマ作画の全ての絵を原画が描くことで、
動きの密度を「フル」に近づけるというものなのだ。


インタビューの続きを見ていこう

小黒 ここで、フル3コマという事をもう少し、このインタビューを読んでいる人達にも分かり
  易くしたいんですけれど、3コマの動きを、中割りなしで、全部原画で描くという事
  ですよね。そうやると、中割りのある2コマよりも、1秒当たりの原画の枚数は多くなる。
井上 そうだね。動きの密度という点で言うと、多分、最高のものだろうね。
  2コマで中割りなし、というのは、ちょっと動きをコントロールしにくいし
  それで描ける動きは、フル3コマとそんなに差がない。1コマフルという事も原理的には
  考えられるけれども、それは実際には、自分で自分の原画の中を割るだけの作業に
  なってしまうだろうから、意味がないし、そもそもそんなにたくさん描けないし、
  スケジュールもない。だから、3コマおきに、全部画をコントロールすれば、ほぼ、
  描きたい動きの全てが描けるだろうね。
小黒 少なくとも、現状イメージできる最高の方法として、フル3コマがあるわけですね。
井上 うーん、だろうね。それにはまず、頭の中に、描く動きのイメージがないと
  ダメなんだけどね。イメージがないのにやっても、自分で自分の原画の中を割る作業にしか
  ならないから。そういう意味で、磯君は、原画の発想と言うか、動きの発想の点で、革命
  だったね。もっとも彼に続く人もいないんだけど。

http://www.style.fm/as/01_talk/inoue04.shtml


井上俊之はこのように、「3コマ」である理由を説明している。
2コマ中割りなしは難易度が高い割りに効果が少ない、つまり作業効率が悪い。
またそもそも3コマ全原画でさえ、そういう発想を出来る人は少ないのだから、
2コマなんてトンでもない、
そういう話だ。


しかし、この磯光雄さんのピーターパンの作画が1989年のことであり、
この記事自体が2000年の年末のものである。
ピーターパンから見れば20年以上の年月が流れており、
これだけ分析的に語れたのがもう10年以上前のことである。


そして、今、私の前に現れたのだ。
「フル2コマ」としか表現できない、しかも
「フル2コマにふさわしいイメージを持って描かれた作画」がである。





一応キャプチャーを置いてみたが、多分これを見たからと言って伝わるものではないと思う。
これは作画に興味ある人は、コマ送りしてほしい。
そうでないと多分伝わらない。


ただ、いえることは、
この1カット目2カット目は基本的に「2コマ作画」(ところどころ3コマもある)
であり、かつ、
とても「中割り」を入れられるような作画ではないということだ。
つまり、延々コマ送りをした結論としては、
これは、史上初めての「フル2コマ」なのではないか、ということである。
今まで「限界」とされてきたアニメの動きの密度のそのさらに先。
そういうものなのではないか、と。


だから、逆にアバンが終わってOPが始まると凄く安心する反面、
全然動いていないような錯覚に陥る。
それは、OPも2コマ作画を基本としてはいるが、従来の「中割りあり」のスタイルであり、
普段から見知った作画だから安心でき、
かつ、上記のインタビューの通り、同じ枚数を使っていても
「動きの密度」は大きく劣っているため、全然動いていないように感じたのだ。


2、について。
「フル2コマ」であるとした時に疑うべきことがある。
それは「3DCGベースのものではないか」ということと、
ロトスコープではないか」ということだ。


まず、3DCGベースである可能性だが、これはまずない。
それは3DCG的な「立体の正確性」が見られないからだ。
技術的に見ても、3DCGはここまでは進化していないという認識だ。


次にロトスコープ
これは、カメラで取った実写映像の1コマ1コマを元に作画をするというもの。
これについては完全否定は出来ない。
出来ないが、ロトスコープである可能性も限りなく低い。


なぜかといえば、ではその元となる実写の動きを出来る人間が、しかも3人同時でやって
この動きが出来るのか、そういう手間を掛けることが出来るのか、という問題があるのだ。


素人がやってもなかなかこうはならない。
こんな柔らかい動きをカメラのまで出来ない。
つまりは、なんらかのトレーニングを積んだ役者やダンサーなどが
この動きをする必要がある。
あるいは、「本物の女子高生の盗撮」かだ。
(ちょうど良くこういう仲良し3人組が3人でバトンを持って
 ウキウキステップしている場面に遭遇する可能性も極めて低いが)


しかし、わざわざそんなことするだろうか?
勿論可能性はゼロではない。
そういう、見事な演技力と体捌きを持った人間を3人集めれば可能だろう。
だが、それこそ労力と成果が見合うとは思えない。


つまり、可能性としては、これは普通の手描きの作画である可能性が一番高いのだ。


3、について
さらに恐ろしいのは、この3人がそれぞれの動きに個性、
アイデンティティをもっていることだ。


作画が原画マンベースで語られることが多いのは、
日本のアニメにおいては、動きの個性というのは原画マン単位であることが多いからだ。
つまり、キャラクターごとに動きがあるのではなく、
担当原画マンによって動きが決まる。


といっても、これはディズニーも一緒で、
ただディズニーはキャラクターごとに担当原画マンを置いており、
原画マンの個性がそのままキャラクターの個性となるようになっているのだ。
しかし、ディズニーもまた「ディズニースタイル」が確立されており、
個性が話題にならない。
言ってしまえば、みんなディズニーの動きである。


ここらへんの話は、同じくWEBアニメスタイルの三原さんのインタビューが参考になる

三原 橋本さんの画は、動きに命があるでしょう。それは常々、井上さんが自分にはない
  ところだみたいな話をしてましたけど。なんでしょうね……橋本さんは、
  ほんと天才だと思うんです。動きに魂があるでしょ。ほんとの意味でアニメーターだと
  思いますね。俺にはああいう才能は全然ないので。でも、必ずしも全員が全員、
  ああいう方向で描かなきゃいけないわけでもないですからね。
  逆に言うと、動きに魂はあるけど、無個性とも言えるんですよ
  その、大平さん、田辺さん、磯さん達の画って、むやみに動いてますけど、
  どれもこれもおんなじに動くでしょう。
小黒 ああ、なるほど。キャラクターの芝居ではないんですね。
三原 そうなんですよ。突き抜けたところにある、「動いてる」という生命感みたいなもの
  だと思うんですよね。
  あと、動きについては、最近『ベルヴィル』をよく引き合いに出して話すんです。
  あの作品の凄いところは、キャラクターの動きだけでその人物の性格が伝わって、
  台詞なしなのに、どんな話をしているかが分かる事なんですね。これは……凄いですよ。
  天才だと思います。こういうキャラだから、こういうシルエットで、こういうふうに動
  く、そういった事が表現できているから、台詞を言わなくても、
  パントマイムだけでストーリーが語れるわけです。今までそういう事は、
  比較的やられてこなかったですよね。
  シルヴァン・ショメの仕事が凄いなあと思うところです。
小黒 なるほど。
三原 ディズニー作品なんかの動きも、結局キャラクターシステムだから、
  描いてる人の個性は出ますけど、わりとどのキャラも、同じように動いているじゃないです
  か。『ベルヴィル』で一番凄いと思ったのはそこでしたね。キャラクターの作り方に、
  そのキャラの個性が反映されている。なおかつ、その動かし方にもその個性が反映させら
  れている。それが最も上手くいっている作品だと思うんですよねえ。
小黒 『ベルヴィル』の動きには、相当感銘を受けたんですね。
三原 ええ。まあ、今話したような事を、誰も彼もがそうしなきゃならないってわけじゃないで
  すよ。日本のアニメは、どのキャラも同じように動いている場合が多くて、つまらないん
  じゃないのかと思うんです。リアルなドラマを求めてるからそうなると思うんですよ。
  だから、1本の作品の中では、キャラクターの画が、みんな同じですよね。
  『攻殻GHOST IN THE SHELL)』にしても、みんな同じフォルムしてますよね。
  『人狼』もそうですけど。

さて、このアバンはどうだろうか。
3人の動きをはっきりと書き分けている。


例によって、私は記憶力がないので「たまこ」以外のキャラの名前を覚えていないが、
この真ん中の金髪の女の子と一番後ろの茶髪の女の子では、はっきりと違う動きをしている。


金髪の女の子は明らかに運動神経がよく、体の捌き方も上手い。
動きにメリハリがある。
茶髪の娘は明らかに神経繋がってない系の女の子で、転ばないようにするだけで精一杯だろう。


作画オタク目線で見れば
金髪の女の子はいかにも作画栄えする滑らかでいてタメツメもありそうな動きをしていて
この先のアクション作画も期待できるような「作画の申し子」という感じ。
それに対して、後ろの茶髪の娘は逆にドンくさい脚の使い方をしていて
「この娘に作画の見所はないな」という感じ。


たった2カット見ただけで、キャラクターの人となりやこの先の展開すら見えてくる。
そういう作画がなされている。
三原さんのインタビューを鑑みれば、これがどれだけ脅威的なことかわかろう。


4について
そして、第4に、これが分析的に描かれた原画ではなく、
またポーズを繋いでいくようなものでもなく、
時間を切り取ったような作画をしているということだ。


つまり、山下清吾さんいうところの「タイムライン系」作画に見える。
(タイムライン系については
http://d.hatena.ne.jp/mattune/searchdiary?word=%A5%BF%A5%A4%A5%E0%A5%E9%A5%A4%A5%F3%B7%CF
を参考)


もっともフル2コマという手法が結果的にタイムライン系の作画になるのかもしれない。
しかし、これまで真にタイムライン系と言えるような作画は
少なく、これが初めての真のタイムライン系作画なのかもな、とも思ったりした。


そういう意味では、逆にそれを表現するために「フル2コマ」という手法を
選んだのかもしれない。
松本憲生さんをして「もう3コマでは動いて見えない」というのだから、
その先にあるのは「フル2コマ」ということになろう。
松本憲生さんの弟子筋の沓名さんや山下清吾さんは
 あくまで3コマということにこだわっていたが。)





とこんな感じで、思いの丈をぶちまけて見ました。
まあ、作画オタクとしての活動を控えるようになってから大分経つ
「元作画オタク」の私の考察なので、
的外れな部分も多いかもしれません。


ただ、このアバンの1カット目2カット目について、
少なくとも、私の知ってる限りこういう感覚を受ける作画は今までなく、
まさしくエポックなものが現れたと強く感じました。
それをここに表明いたします。