ビスタサイズ

666さんの
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090526
のエントリーで触れられたりする
ビスタサイズ(16:9)の画面ですが、
やはり、現場でも苦労があるようです。


ヤマカンなんかはかつて妄想ノォトで
ビスタサイズを使いこなせない奴は駄目」みたいな事を言ってましたが、


個人的には普通の4:3の画面の方が好きです。
わざわざ横に長い意味がないし、
猫の人が言うように人体は縦長なので、
横長なのはマッチしない。


勿論、横幅を使った距離感の表現は増えたと思いますけど。


あるいはアニスタのキャシャーンの記事
http://www.style.fm/as/13_special/mini_interview/casshern_sins3.shtml


にある様に、
「逆に寄る事によって大画面をもたせられないか、という新たな回答」
というのもある。


アニメの場合アップになると記号度が高まって想像力を下げる、という話もあるが、
上記の馬越―羽山(さらに遡ると須田正己さん)ラインの濃い絵であるとか、
あるいは、三原三千夫(http://www.style.fm/as/01_talk/mihara04.shtml
の言うように「線を増やす」という方法論もある
(余談だが、三原さんのこの考え方は川尻善昭さんの思想を無意識の内に受け継いだものだと思う)


現在のアニメの方向は作画・演出ともに「記号化」の方向にある。
よりシンプルに。
作画的には影なし・線少な目とかね。
でも、そろそろそれが反転するんじゃないかな、という気持ちもある。


例えば劇ヱヴァのインタヴューで作監の松原さんが「影多目にした方が画面が持つ」というような意味の事を言ったり。


アニメ表現の最先端がどっちに行くのか、非常に見物ですね。

細田・新房のライン

00年代を代表する演出家というと確かにこの二人。
キーワードはやっぱり記号化だよね、という気がする。


なので、そのルーツに「出崎統」「ウテナ」、新房の場合はさらに「金田伊功」がいるのは
納得ではあるんだよね。
そういう意味では二人の弟子である中村健治
半熟英雄のOPをやったのは歴史的に正しい。


ただ、最近二人の作品を見ている事と「記号化する」という手段が
目的になってしまっているような気もするんだよね。
そこが最先端である由縁であり、俺が時かけで何か引っかかった部分なのかもしれない。


そういう意味でも俺が好きなのはあくまで「橋本カツヨ」だったのかな、とも思う。
新房に関しても、ソウルテイカーからさらに遡って、幽遊白書のドクター回とか。
まだ記号化しきってない頃の方が好み。


ぼくらのウォーゲームも、前にも言った通り、
「裏ぼくらのウォーゲーム」ことエイリアン9の方が良い。
演出に容赦がないというか、「記号化」のみに頼りすぎてないというか。


富沢ひとしという漫画家の「記号化」の具合が良いってのもあるんだろうな。
キャラクターは極度に記号化されてるけど、エイリアンの内側とかは凄く細かくてグロい。
デビュー初期の「肥前屋十兵衛」なんかを見るとモロに板垣恵介フォロワーで、
あのマッチョ絵から記号化していったところに意味があるのか。


全然まとまらないなぁ。


ファンファンファーマィが手に入らないので
代わりに不思議の国のアリスと男塾を借りてきたから見よ。
多分これでかわりになるはず。