出崎節爆発!

まさに出崎節!というインタビュー
http://www.p-tina.net/interview/283


別冊宝島でのインタビューでも出てきた
出崎の女性観もさることながら、
最近話題にしてる「記号化」が目的となっていることへの批判など、
非常に面白い。
さっそく見ていきましょう


まず、前に書いた「脚本からコンテへの飛躍」について言及してますね。


>「シナリオ作るだけ無駄じゃないですか」と言われてるんだけど、
>シナリオがなかったら、結果的に出来上がったものは生まれてないんだよね。
>推敲するような時間が必要なんです。


まあそれよりも、やっぱりこれですか。


>フジテレビのプロデューサーが、
>最初の頃に「出粼さん、『巌窟王』って知ってますか? あの洋服の柄はシャレてるでしょう?」
>って言い出して、ちょっと怒ったんだよね(笑)。
>「あれは人間に付いて動いてねえだろう。俺がやるんだったらちゃんと動かしてやる!」と。


これについては色々と大切な情報があって、
一つは今回のGENJIの件で
このフジテレビのプロデューサーが出崎信者だったんだろうな、ということ。
そうじゃなくっちゃ「あさきゆめみし」と「出崎統」で
なかなか「出崎統」が商業的な理由で残る要素がない。
このプロデューサーに感謝。


そして第二は何と言っても
「出崎監督、巌窟王見てたんすか!」
ってこと。
まあモンテクリスト伯とか出崎好きそうだもんなぁw
出崎版巌窟王とか目に浮かぶようだw


そして、やっぱりあの着物のテクスチャーは巌窟王を意識していたのか、ということ。
出崎さんは


>あんなもんで喜ぶなら、手法自体は昔からの手法だからね。


というけど、
それをすぐに取り込む柔軟さはまさに驚嘆。
余裕で最先端じゃないすかw


着物については話題の板垣さんも
http://www.style.fm/as/05_column/itagaki119.shtml
で注目してますね。


デジタル制作に対する出崎監督のスタンスも面白い


>V編でもう一回撮影するような感じ


という言葉の通り、劇場版クラナドでも
絵コンテの後は作画以降は助監督に任せて、
V編をしてたとか。
画面を「出崎色」にする秘密がこんなところに隠されていたとは。
映像そのものに対する監督チェックだよね、これは完全に。


そういう意味では、法華狼さんの「出崎はレイアウトに頼らない」というのも
「デジタル制作以降」の作品には当てはまるでしょう。


でも、ここ部分は・・・と思ったのは


>前は、作画の打ち合わせに撮影のスタッフも全部来て、
>そこで飲みこんで、求めるものが上がってきたんだよ。
>今は言っても分かんなくて、上がってきたものにさらに自分が手を加えないと、
>自分の言ってるものにならない。


この部分。
平川さんのサイトの
この話(http://bokuen.net/archives/434
を思い出した。


>アニメの有名な撮影会社・高橋プロに、撮影リテイク(やり直し)が入った。
>出崎統監督の作品で、リテイクになったのは「BG ONLY」のカット。
>「BG ONLY」はそのまんまの意味で、セルが乗っていない背景だけのカットのこと。
>ふつうはそんなにリテイクが出るところではないのだけど、リテイク内容のところに出崎さんから一言、


>「人の気配がほしい」


>と書いてあった。
>撮影さんはかなり困ったみたいだが、画面の下の方に波ガラスをかけて、熱気のようなものを表現することでOKになったらしい。


要求が無茶すぎるだろwww
いや、実際に昔の高橋プロはこの要求に応えていたわけで、
「今は言ってもわかんない」と言われてもしょうがないのかな。
いや、昔の人も分からないと時もあっただろ、さすがにw


・出崎の作画や撮影に対する認識


>撮影は撮影、作画は作画で
>「監督にこんなこと言われちゃったし、監督にこんな風にやれって言われてるけど、俺はこの方が面白いと思う」
>って言ってくるのを、俺は待ってるわけよ。
>で、そういうのと自分がぶつかったときに、やっぱり作ってる実感がするじゃない。
>「こいつ、イイなあ」と思ったりね。それがなくなってるんだ。


この話を聞いて、アニスタの森本晃司のインタビューを思い出す。
http://www.style.fm/as/01_talk/morimoto01.shtml


>例えば、出崎さんの作品を観た時に、自分が描いたところが引っかかるのね。
>上手く流れていかない。出崎さんがコンテで要求している事っていうのは、
>このカットは右から左に。次のカットは左から右に……そうやってリズムを作っているのに、
>自分の担当した部分は、右から左に行くところで、寄り道をするんですよ(笑)。
>ズバンと右から左に行けばいいのに、コケたりとか。
>動かす事しか頭の中になくて、演出というものが頭に入ってなかった。
>それが分かってから、なんか愕然としちゃって。「出崎さんは、どういう風に通してくれたんだろう」って。


この疑問に対する答えが上の出崎の言であろう。
森本晃司がぶつかって来た事によって「作ってる実感」を得ていたのだろう。
すごいテンションの高い話である。

何が目的なのか

まだhttp://www.p-tina.net/interview/283についての続きです。


「何が目的なのか」というのはお話。
宮崎駿押井守、あとは富野御大も
目的は「自分の主張を伝えること」なんだよね。
アニメというのは自分の主張を伝える道具。


自分の主張を伝えるために相手を感動させたり泣かせたり驚かせたりする。
つまり手段。


それに対して、出崎統はまさにその
「感動させたり泣かせたり」という部分が目的なのだ。


それがインタビューの
>ドラマを盛り上げるため、見てる人をもっと泣かせるためだったら命を惜しまずにやるけどね。
という発言となる。


しかし、この発言には先があって、


>ただ面白い画面でしょ? っていうためだけだったら、俺はなんにもしない。
>見てる人と語りあいたいっていうつもりで作品をやっている訳だから。


となる。
つまり、
「感動させたり泣かせたり」のための手段である「記号化」とか「作画」「演出」などの技術が
目的になってしまう事に出崎は反発しているのだ。
それは例えば最近の細田守であり、新房シャフトであると思う。


新房の言葉を借りれば「俺出崎」であることが目的になってしまっているのだ。


・それは鉄コン筋クリートだと思う。
上の目的と手段の流れで出崎はこう言う


>すごいマニアックに「こういうシーンが欲しい」「ああいうシーンが欲しい」という作り方をするのは駄目だと思うよ、俺。
>今、そういうのが多いでしょ。ドカーッと絵だけ派手で、中身がないものが。


>そういうのを楽しんで見るスタイルの映画……というつもりでやっているんだろうけど。
>この間も悪ガキが喧嘩している映画を観たけど、
>「なんでケンカしてんだこいつら?」みたいな感じだったよ。
>それで「カッコいいだろ?」みたいなことを言われても、俺、理解できない。
>そういうのが大好きな、男の子達・女の子達が見るんだろうか。けっこうね、興行収入はよかったりする。
>しょうがないけど、ヤな世の中だなと思う。思うしかできないんだけど。


これって文脈上、「アニメの映画」としか取れないし、
多分「鉄コン筋クリート」の事だと思うんだよね。
興行収入良かったというしね。


あれも極度に「記号化」されたアニメでしたね。
元々は森本晃司が監督だったということもあって、
本当にそうだったら、なかなかマニア心をくすぐるエピソード


ま、さすがにここから「けいおん!」批判につなげたりはしませんよw


・結論
板垣伸コブラに参加して出崎とぶつかって来るんだ!
それが板垣伸のあしただ!