何が目的なのか

まだhttp://www.p-tina.net/interview/283についての続きです。


「何が目的なのか」というのはお話。
宮崎駿押井守、あとは富野御大も
目的は「自分の主張を伝えること」なんだよね。
アニメというのは自分の主張を伝える道具。


自分の主張を伝えるために相手を感動させたり泣かせたり驚かせたりする。
つまり手段。


それに対して、出崎統はまさにその
「感動させたり泣かせたり」という部分が目的なのだ。


それがインタビューの
>ドラマを盛り上げるため、見てる人をもっと泣かせるためだったら命を惜しまずにやるけどね。
という発言となる。


しかし、この発言には先があって、


>ただ面白い画面でしょ? っていうためだけだったら、俺はなんにもしない。
>見てる人と語りあいたいっていうつもりで作品をやっている訳だから。


となる。
つまり、
「感動させたり泣かせたり」のための手段である「記号化」とか「作画」「演出」などの技術が
目的になってしまう事に出崎は反発しているのだ。
それは例えば最近の細田守であり、新房シャフトであると思う。


新房の言葉を借りれば「俺出崎」であることが目的になってしまっているのだ。


・それは鉄コン筋クリートだと思う。
上の目的と手段の流れで出崎はこう言う


>すごいマニアックに「こういうシーンが欲しい」「ああいうシーンが欲しい」という作り方をするのは駄目だと思うよ、俺。
>今、そういうのが多いでしょ。ドカーッと絵だけ派手で、中身がないものが。


>そういうのを楽しんで見るスタイルの映画……というつもりでやっているんだろうけど。
>この間も悪ガキが喧嘩している映画を観たけど、
>「なんでケンカしてんだこいつら?」みたいな感じだったよ。
>それで「カッコいいだろ?」みたいなことを言われても、俺、理解できない。
>そういうのが大好きな、男の子達・女の子達が見るんだろうか。けっこうね、興行収入はよかったりする。
>しょうがないけど、ヤな世の中だなと思う。思うしかできないんだけど。


これって文脈上、「アニメの映画」としか取れないし、
多分「鉄コン筋クリート」の事だと思うんだよね。
興行収入良かったというしね。


あれも極度に「記号化」されたアニメでしたね。
元々は森本晃司が監督だったということもあって、
本当にそうだったら、なかなかマニア心をくすぐるエピソード


ま、さすがにここから「けいおん!」批判につなげたりはしませんよw


・結論
板垣伸コブラに参加して出崎とぶつかって来るんだ!
それが板垣伸のあしただ!