究極の非モテは無我の境地だってお(バンバン


非モテ」という「非リア充」に似てるよく分からん言葉が流行ってるようだ。
まあモテない人のことなんだろうなぁ、ってのはわかるんだが、
また「非モテ」の定義域がわからん。
まあざっくりとモテナイ人という事にしよう。



さて、某スレから巡回してたらこんなエントリーを見つけた。


物語とは非モテの不在なり
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090831/1251649426
非モテとは物語の不在なり
http://d.hatena.ne.jp/rAdio/20050325/1111683579



まず後者の「非モテとは物語の不在なり」というのは非常に分かりやすい話。
「好きの反対は無関心」とかそういう話。
プラスの方向にもマイナスの方向にも何もないのが「究極の非モテ」だそうだ。


でも個人・経験的な感覚だとプラス・マイナスが0に近い人間て案外モテるんだよね。
なぜかを考えると、そいつが白紙だからからだと思う。
相手からすれば自分の好きな様にプラス・マイナスを付加できるので、
主体性があるタイプにモテる。


別にイケメンに限らない、っていうか、多分プラス・マイナス0だから
多分顔も普通なんでしょう。
特別イケメンでもなく、ブサイクでもなく。


まあ一種の「処女信仰」とか「新卒信仰」と同じ感覚ですかね。
最も「プラスマイナス0」なんて、
実際には「それって仏教でいう無我の境地なんじゃないの?」っていう次元なので、
そんな悟ってる奴居ません。
まあ「非モテ」というのは極めると無我の境地になるということが分かりました。


で、確かにそんな悟りを開いて無我の境地にいっちゃった奴は
物語になりません。
それこそ「ゴドー」さんくらいでしょう。


まあなんというか、「非モテ」の問題って
無我の境地になれないって言うか、
「煩悩を捨てられない」ところにあるんじゃないの?
ってネットの非モテ論争に詳しくない俺は思ってしまう。


で、煩悩を捨てられないが故に悩んでるレベルの非モテの人は
物語に頻繁に存在する人達。
「ロマン」の話の繰り返しになるから、
わざわざ説明はしないけど。


まあ新井鴎子さんがラジオで「男のロマンは基本的には女には理解できないもの」
って言ってたし、ここまでの男性側からの話は基本的に
ロマンの話でしかなくて、
女性はもって別の視点から見てるんだろうなぁ