クラナドと出崎と海〜男なら海に出ろ、そこに全てがある〜

(これは「劇場版クラナドを見よう」関連記事です。
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20091219/1261240399
これに先駆けて劇場版クラナドという「高圧縮」な作品をちょっと解凍していこうかなと思うわけです。そのため当然のようにネタバレしてます、注意)




劇場版AIRというのは、
もうまんまOVA「ブラックジャック」の「しずむ女」だったわけですよ。
ただ主人公がBJ先生じゃなかっただけで。


死因も
地球の記憶の云々=公害
って考えちゃえば同じ。
ひょっとしたら劇場版AIRの観鈴の死因は
公害によるものだという裏設定があってもおかしくない。
現実の「公害病」の扱いはまさに「奇病」であったわけだし。


現代において恐ろしいのは呪いではなく人間の実害そのもの。


まあそんなわけで劇場版AIRは控えめにいって「原作なんてテイスト程度」
だったわけです。
「AIRの脚本を見て手塚治虫の話題作を思い出した」とするなら
それはAIRに対する最大の評価だとも思うんですけどね
(しずむ女は文庫化されてない幻のエピソードとなっている)


しかし、それでも特に出崎と親和性が強い部分が
「海」である。
そうAIRは「海」の話であった。
だから基本的には出崎のホームで出来た。



そこで、クラナドである。
もうお分かりだろう。


「渚」
「汐」


このキーワードこそクラナドと出崎を結ぶ太いパイプだ。
渚はまさに朋也にとっての海だった。
海の入り口だった。
出崎アニメにおいて「海」というものが何を意味するか。
それはぜひ「宝島」か「ガンバの冒険」を見てほしい。


原作者は何を思ってヒロインの名前を「渚」と付けたのだろうか。
それは俺にはわからない。
しかし、もしヒロインが「渚」で無ければ、
出崎は渚にあれほどの思い入れをしなかったかもしれない。


海をバックに渚の言う「汐」の名前の由来は
原作とはちょっと違うらしい。
詳しいことは原作ファンの方に聞きたいが、
なぜ、わざわざ「汐」という言葉の意味を、いわば曲解してまで


「汐は海の真ん中」


と言ったのか。
それは多分、男なら渚を越えて・・・
いや、これ以上は言葉にすると陳腐なのでやめておく。


ただ、俺の考えが正しければ、
もうこの時点で自分の今後を予見というか覚悟してるんだろうな。
劇場版の渚は「手段を選ばない」女だし。
だとしたら、絵コンテの全身白の服装指定は・・・
(「白い服に白い日傘をさしている」「ボウシも白」とわざわざ書いてある。ここ以外に服の色を指定しているカットはない)