劇場版クラナドは右脳で見よう〜理屈ではなく感覚で〜


(劇場版クラナドを見よう
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20091219
関連記事です)


もしあなたが劇場版クラナドを初めて見るのなら、
「理屈」を考えるのをやめた方がいい。
感覚でみる。
つまりは俗に言う「右脳」で見たほうが劇場版クラナドという作品を心底楽しめるはずだ。
(ちなみに、ここで言っている「左脳・右脳」というのはあくまでイメージの話で
生物学・医学的な云々ではないです。)



だから、基本的にはこのブログで書いてるようなことを考えること自体がナンセンスなんだ。
感覚で見れば簡単なものを、言葉にしようとするから難しい。


そう「言葉」。これが重要だ。


クラナドというのは原作はゲームだ。
この手のゲームは必ず画面の下のほうに「テキストボックス」というのがついている。
セリフや効果音などがここに「言葉」として出てくる。
それを読む。


これが曲者。
もう「テキストボックス」の中のセリフなりなんなりを読んでる時点で
プレイヤーは「左脳」=理屈を使ってしまっている。


誤解を恐れずに言えば、
クラナドというゲームは常に「左脳」を使って視聴されている


ここに劇場版クラナドと原作ゲーム版クラナドの、視聴者にとっての隔たりがある。
それでも、原作ファンの中にあって劇場版クラナドを楽しめた人は
多分「右脳=感覚」で映像を見ることが出来た人だろう、と思う。


なので、もし劇場版クラナドを見るのなら、「感覚」で見てほしい。
(コメンタリーを聞く前にね♪)


・蛇足〜左脳・右脳論と文字演出


文字演出っていわば右脳から左脳へのスイッチみたいなものだと思うんですよ。


物語というのは「理屈」の方の脳=「左脳」を使い、
映像・音というのは基本的には「感覚」の方の脳=「右脳」を使う


アニメというのはある時には物語のために左脳を使い、
ある時には映像・音のために右脳を使う。
この切り替えが重要になってくる。


文字演出はいわばその両方の脳の切り替えをコントロールしようという演出だ、
と言えるんじゃないだろうか。


・まあ
俺はアニメでは右脳使ったほうが楽しい派
ですけどね。
普段左脳使いすぎなんで。


「映像的に面白くても物語がないと長い時間云々」
みたいなのは結局は右脳でアニメが見れてないというだけの話。
終わりの無いミニマル・トランスミュージックを聞き続けるみたいな感覚なぁ。