karimiさんの日常アニメ=トトロの焼き直し


日常系アニメのラストについて けいおん!の妥当性 「らき☆すた」の矜持
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20100714


内部評価と外部評価というのは使いやすそうなモデルですね。


さて、内部評価っていう物差しで見ても、
日常アニメはつまるところはトトロの焼き直しでしかない。
あれも結局は内部で全部解決しましたからねw


そう、トトロには内部評価によるクライマックスがあるんですよ。


こういった、内部評価だけの作品を求める志向というのは
つまりは「変化への抵抗」です。


人間というのは普通に生きていると変化を嫌います。
物事がいわゆる「慣例主義」に陥りやすいのはまさにこれ。
「洋服はいつものお気に入りのお店」とか
「美容院はいつも同じところ」とか


今はやりの「ベンチャー精神を養うセミナー」みたいなのを聞くと
必ず「人間の本能は変化を嫌う。それでは成功はしないしベンチャー精神は養われない。
本能に打ち勝って、変化を求めるんだ!」
という趣旨の話が出てきます。


でも、それとは別に人間には「変化を求める」本能もあるように思います。
いわゆる「飽き」の感覚です。
人間は飽きっぽい生き物です。


つまり、変化を嫌う一方で、変化を求めるという矛盾。


この矛盾の古くからある解消方法が「観劇」です。
多くの「劇」は多くの変化を疑似体験させてくれます。
ギリシャ悲劇などはまさにそう。


「退屈な日常の中で映画を見るのが楽しみ」


みたいなのはまさにそう。


では日常系の劇はなんのために存在するんだろうか?
例えば小津安二郎の映画とかも日常系ですよね。
それは「劇」自体の面白さ、
役者や演出やメディアの面白さ。


なので、ある意味では純粋な楽しみ方なのかもしれない。
日常系萌えアニメであれば「萌えキャラ」を堪能するために存在すると言える。
作成する思想の違い。
そう思想の違いなんだ。
ソラノヲト」は確かに日常系萌えアニメとは違う思想で作られていた。
それだけは俺の思った通りだった。