富野の人が『あそびにいくヨ!』に注目する理由


富野の人ことグダさんが妙に「あそびにいくヨ」にご執心
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1話は見たときはピンとこなかったんだけど、
2話見てちょっとわかった。
これって、もう完全に「90年代〜カオス期(2002くらいまで)」のアニメなんだよね。


この時代のアニメっていうのは、
「富野・宮崎・出崎世代への反発とノスタルジー」で出来てたわけ。


『あそびにいくヨ』についてグダさんはイデオンを挙げているけど、
イデオンの影響は大きい。
イデオンは面白いけど、女の子キャラが可愛くないなぁ」
って考える80年代のオタクがいて、
彼らの欲望満たしたような作品が、エヴァを筆頭にいくつも作られた。


00年代のガンダムSEED以降は、
ある種「富野・宮崎・出崎世代」をガジェット化することに成功するんだけど。
思想とアニメの技術がはっきりと分離するというかね。


「○○デレ・○○萌え(燃え)」みたいなのは特にそうで、
富野世代が思想・フェチズムをもってやっていたアニメの技術を、
それだけを取りだして、作品に乗っける技。
最初にこれをやりだしたのは、押井守じゃないかなぁ。


で、「あそびにいくヨ」は富野・宮崎・出崎世代の思想をまだ引きずってるんだよね、反発という形で。


プロジェクトA子」というアニメがあって。
『最近のアニメは考え込ませるようなものが多い。宮崎さんや押井さんが作らないようなものを作りたい』
と西島監督が発言したことが波紋を呼んだ。


多分さ、『けいおん』とか『生徒会役員共』とか『カンパネラ』
にそういう感覚・思想ってないと思うんだよね。
でも「あそびにいくヨ」にはまだ無意識レベルでそういう感覚が残ってるように感じる。
「俺たちはあの人達みたいな小難しいアニメは作らないよ」っていう感覚。


だから、結果として出てくるものは同じようだけど、
思想はまったく別物だと思うんだ、
「90年代の美少女アニメ」と「00年代の萌えアニメ」はさ。


そんなことを考えさせてくれるアニメでした、あそびにいくヨは。