赤い庭と死んだ女の子たち


なんで、かつて新しいアニメ批評集団の中の人は
『「赤い庭」の「失敗」』
と言ったのだろうか。
レッドガーデンはまったくもって失敗ではないと、
俺は思っている。


ただ、レッドガーデンも観方が非常に難しい。
ゴンゾオサレ論でも書いたが、
オサレすぎる。
歌ことだけじゃない。
作品全体が、あらゆる要素がだ。
(その点、確かに「紅」は良い感じに俗っぽい要素が混ざってるのが良いとも言える。)


演出的な見所がこれだけある作品にも関わらず、
いや、違うな演出的に高濃度なだけに、
観ているのが辛くなる瞬間がある。


「あまりに演出が秀逸すぎて観るのが辛くなるアニメ」
高畑勲の「母をたずねて三千里」にちなんで、
「三千里現象」と言っている、俺が勝手に


近年の作品で三千里現象を感じたのは、
レッドガーデンとファンタジックチルドレンくらいだ。
ある種の演出家の高まり・昂ぶりがそれを呼び起こす。


そんなわけで、俺はレッドガーデンを人を薦める時、
あるいは自分で一気に見る時は
「デッドガールズ」から入る事にしている。
松尾監督が
アフレコでは声優をコントロールしすぎてしまう(=監督自身の芝居を押しつけてしまう)から、
プレスコで声優の独自の演技を引き出して、作品に持ち込みたい
というようなことを言っていた。


ならば、我々視聴者だって、コントロールから離れたっていいんだ。
時間の流れは一定である必要はない。
レッドガーデン2話のカットバックのように、
あるいは井荻麟が言うように、
時間は前にのみ進むとは限らない。
レッドガーデンが本当に好きな人には批判されるかもしれないけど、
そういう観方もありじゃない?
みたいなね。


るろ剣を追憶編から入ってみたり、
ウテナを劇場版から入ってみたり、そういうのも良いと思うんだ。