各話脚本家の重要性について〜ゴシックの根元歳三脚本について〜


この間のスタードライバーの記事で
「一人で全話脚本を書くから出来ること」
というのを書いたが、
その逆について。


一人の人間には出せるものに限界がある。
いわゆるバリエーションの限界だ。
やはりそれぞれの脚本家には
得意不得意や専門があり、あるいは癖もあり、
なかなかそれを超越することは難しい。


もちろん、そう言った癖とか専門とかが
「作風」を作っていくので、
それはもちろん重要なのだが、
反面、作品の「広がり」については犠牲になってしまう。


例えば、ウテナにおいて山口亮太さんは、
「榎戸さんの書かないものを書く」というようなことを言っており、
月村・山口両氏の各話脚本が、ウテナに「広がり」と「深さ」を与えたのは明白だろう。


さて今期における、「岡田構成三作品」において、
岡田全話脚本から脱却した作品が一つ。
それが「ゴシック」だ。


ゴシックの「アヴリル前後篇」を根元歳三さんが担当している。
これが妙味。
根元歳三さんといえば、分かる人には
戦う司書の「モッカニア前後篇」の人。


あるいはデュラララの「平和島静雄担当」っていう方が
わかりやすい?(3話・7話・17話など)


平和島静雄・モッカニアそしてゴシックのアヴリル
あるいはちょっと真面目なドリル警部


ここらへんのカッコよさ、独特の「暗さ」は
根元さんの得意分野で、
岡田さんが同じことを目指しても、
同様にできるものではないだろう。


まあその「暗さ」が全面に出ちゃって、
微妙に評判が悪かった「東京魔人學園剣風帖」なんてのもあったが、
俺は割と好きだったよ(原作のゲームも好きだったし)