手詰まり感

アニメに限らず、流行り・最新のものというのはやはり活気があるものだ。
その一方でいわゆる古典といわれるものは活気はないけれども、
時間を経ただけの熟成がある。


で、どっちが良いってものでもないわけで。
例えば、現在の風潮とかを知りたいなら、
直近の流行りのものの方が手っ取り早いわけだし、
その結果の一つが
アニメで言えば、アニメから社会を読み解く、とか
あるいは売上からアニメオタクを読み解くとか
そういう考え方。


逆に、古典にあたる事で、
アニメの中の普遍的な部分を探ったり、
あるいは「新古典主義」的に
古典の中でネタとして再利用できる部分を発掘したり。


で、俺は別にアニメ制作者でも社会学者でもないので、
別に現代社会の風潮もアニメオタクの動向も、
アニメのネタ探しもしなくて良い。


アニメ視聴者としてやっぱり重要なのは
「面白いと思えるアニメにどれだけ出会えるか」
だと俺は思っている。
そう考えると古典とか流行りとかはあんまりどうでも良くて、
自分が面白いと思える「脈」がどこから来てどうつながっていくのか、が
割りと大事になってくる。


なので、日本全体での売上というのはちょっと漠然としてて役に立てにくく、
それよりは近い脈というか近い好みを持っている人の個人的な意見の方が
役に立つ。
そうすると、やっぱり色んな人が意見・感想を発信してくれた方がうれしい。


でも、意見を発信していると、その意見自体に価値を見出す人もいたり。
で、「いまは○○という手法でアニメを語るのがカッコいい」みたいな感じで、
こっちにも流行りとかが生まれてくる。
アニメに関する意見を発信することで「かっこ良くなりたい」人とか、
アニメが目的じゃなくて手段な人達が出てきて、
また最初の流行りと古典の話に逆戻り。


ただただ、
面白いアニメが見たい。
自分が何が面白いと思っているのかを知りたい。


でも、最近はちょっと手詰まりだなぁ。
近所のレンタル屋のアニメは大体見て。
新宿のツタヤも漁って。
それでもないものはネットとかも漁って。
働きだしてからは昔の作品のDVDも買って。


面白いのがあればそれを何回を見て、
さらにそのスタッフのアニメをいもづる式に見て。


でもなんかそれも限界に近い。
見る前にそれが自分の好みか大体分かるようになったせいで、
ダメそうなアニメに挑戦する気力も薄れ、
時間も湯水のようにあるわけでもなく。
何を見ればいいのか分からない。
過去の面白いと思ったものはもう見過ぎてさすがにしんどい。


ああ、自分のアニメの記憶を一度リセットしたいなぁ。