神山さんの予言


昔から気になっていたことで、ちょっと思いついたので書いてみる。


アニメスタイルのこれ
http://www.style.fm/as/04_watch/watch21_2.shtml


神山 それから『マモー編』って、写真とか絵画のコラージュを使うじゃないですか。
   ああいった手法は今はやりづらくなっているけど、アニメを作る上で、
   それが2次元であるっていう事を最大限に生かしてたと思うよね。
   それはマンガ映画としての手法であって、今は失われちゃったものなんです。
   それを含めてひとつのパッケージとして完結したものだと思いましたね。
   あれをやろうとすると、僕らの世代は、拒絶反応があるんだよね。
―― 突然写真を入れたりする事について?
神山 うん。質感の違うものを登場させる事に、僕らの世代はアレルギーがあるの。
   空間が存在してるものを作ってるっていう自負があるから。
   そこに2次元のものが入れると、キャラクターが2次元の存在であるという事を、
   観客に教えてしまうんじゃないかという不安がどっかにあるんだよね。
  『マモー編』には僕の世代にはできない演出がまだ残ってて、それはやりたいくないわけじゃないけど、
   やれないという感覚がある。
   そういう意味でも、あれは観とくといいかもしれませんね。
  そういうアレルギーがない世代が現れて、突然復活するかもしれないから。


このインタビューは2005年の10月に掲載されたもの。
ここに書いてあることは、今見ると非常に違和感を感じるだろう。
なぜかといえば、
私たちはびっくりするほどに、新房監督あるいは大沼監督の演出に慣れ親しんでいるからだ。


例えば、「バカとテストと召喚獣」で
いきなり「ゲーム」みたいな画面になったとしても
もはやあまり気にならない。
あれを見たからといって
「キャラクターが2次元の存在だとわかるから、この演出は嫌だ!」
という人をもうほとんど見ない。


大沼心の「アニメよりももっと『虚構』な表現を入れる」演出に対して、
例えば、尾石さんなんかは
「アニメの虚構性を際立たせるために実写を取り込む」演出をやっている。
神山さんいうところの
「アレルギー」はない二人だが、
その方向性はまったくの正反対なのだ。


あるいはこの二人の思想を混ぜたのが
「実写の取り込みを平面で見せる」イヌカレーの演出といえるかもしれない。


ともかくとして、
今は「質感の違うものが(アニメに)登場する事に」
多くの視聴者は抵抗を感じてはいない。


こうなると2005年の10月というのがまた絶妙なタイミングで。
ぱにぽにだっしゅ」の放送がまさに2005年の7月から12月なのだ。
この時点では、まだ「新房シャフト」だとか「大沼心」が
今のようなポピュラリティを得ては居ない。
神山の「攻殻機動隊」の方が圧倒的な支持を集めていた。
古びた言葉を使えば、アニメはまさにバーチャルリアリティであり、
その「リアリティ」をぶっ壊すような表現に対してアレルギーを感じるのは
至極当然のことだったのかもしれない。


しかし、それでも、やはり
神山さんの言うように、アレルギーのない世代が
「突然復活」し、
あっという間にポピュラリティを得てしまったのだ。


2005年、つい6年前のこと。
そこからですら、アニメの演出は大きく変わっている、
そういうことを実感できるという意味で、
神山さんのこの記事は非常に面白くかつ大きな意味のあるものだと思う。