アリーテ姫の冒険とウテナと片渕須直

片渕監督のアニスタのコラム
http://www.style.fm/as/05_column/katabuchi/katabuchi_105.shtml
がちょっと面白かった。


これを見るにつけ、
やはりアリーテ姫ウテナは非常に親和性が高かったんだなぁ。


例えば、モンティ・パイソンという喩えや
「アンバランスなブラックユーモア感」というのはウテナの持つ要素と合致する。


「女性の自立」というテーマをアンバランスなブラックユーモアで演出しつつ、
その核においては、ある種性別を超えた「自由」を表現している。
これが「ウテナ」であり原作版「アリーテ姫の冒険」であろう。


そう考えて、上のコラムでも指摘されている「幽閉」を考えてみる。
片渕監督は「塔」というものをリアルに考えて、そこにアリーテ姫を幽閉する、という。


幾原監督もウテナで非常に近いことをしている。
しかし、彼は「塔」というものをモチーフとしては使うが、
「物理的」にはそこに捕らえない。


片渕監督はアリーテ姫を一見して分かるように「塔」に幽閉した。
幾原監督は、一見すると普通の「のほほんとしている」日常を送っているようで、
その実、アンシーもウテナも「学校」に捕らえられている、という寸法だ。


この考え方は原作版アリーテ姫とも合致するし、
幾原監督関連で言えば、そのままピングドラムでも受け継がれている。


つまり、「不自由な人」というのは必ずしも、物理的に拘束されているわけではなく、
むしろ精神的に束縛されているのだ。


逆に言えば、片渕監督は精神的な束縛を「目に見える形」にしたかったのだ。
ここらへん、やはり宮崎駿の系譜に連なる演出家だと言える。