中二病特有の寸止め感


寸止め感という言葉をみたのは、某新聞のグルーヴラインの紹介記事だったか。


まさにこの言葉を「中二病でも恋がしたい」にこそ使いたい。


そもそも5話からして俺には寸止め感バリバリのものだった。
上品な美食家的アニメオタクは、
5話の「2回の笑顔」、つまり自分が平均点以上だったということが分かったときの笑顔と
ラストの笑顔に満足しているようだが、
ゲテモノまで食べてきた俺としてはアレではイケない。
それまでの流れが気持ちよかっただけに、
2回の笑顔でもっと溜めを作ってほしかった。
エヴァ綾波の笑顔のような溜めが。
おにいさまへの奈々子の「私、あんまりソロリティ好きじゃない」くらいの溜めが。


でもまあ、それが中二病なのだ。
中二病の定義について議論していた人たちにいるが
俺にとってはそんなことはどうでもいい。
「彼女らは中学2年生レベルなんだ」
というくらいの認識でいい。


だからこそ、彼女らはイケない。
高校生であっても、実質的に中2だから
彼女らはイケないのだ。


そういう意味で、このアニメのタイトルは正しい。
中二病でも恋がしたい
はすなわち
「中二でも恋がしたい」
なのだ。


その意味で、花田先生と京アニというのは素晴らしいコンビだ。
花田先生は「ハーレム中興の祖・あかほりさとる」の舎弟であり、
ハーレムアニメの去勢を行った一派の一人だ。
それは彼にとっては
「ハーレムとは幻想である」とする思想の一端だったのかもしれず、
それはこのアニメにおいても遺憾なく発揮されている。


そこに、アニメに対する理想の高さのあまり、
中二病化し、イクことが出来ず、
00年代後半のオタクの去勢に一役買った京アニというのは
非常にこの題材に相性が良い。


そこにあの6話である。
前話であれだけ盛り上げておいての、
この保志キャラのしょうもない話。
しかも演出が木上さんで
作監は今最も脂の乗っているアニメーター植野千世子さんと来ている。


この流れ、そしてこの2人を擁してこの寸止め感。
まさに「中学2年生」ならではと言えるではないか。


木上さんの演出としてもベスト3に入るのではないかというキレで、
「学級裁判」での回り込みは
木上さんの師匠・福富博の往年の名演出を彷彿とさせる仕上がりとなっている。
植野さんの立体感の捉え方も相変わらず。
木上さんだけではあの画面になりえないのは過去の演出回からも明らかであり、
植野”ネクス湯浅政明”千世子だからこその画面構成が随所に見られる。


そういう意味では、シンエイそしてAプロの末裔としての京都アニメーションとしての
集大成と言ってもいいだろうものであり、
映像的な魅力だけで言えば、10年代という括りでも特筆すべき仕上がりと言って良いだろう。

それをこんな、寸止めとしか言い様のない回に回してしまうこと、そのものが
寸止めであり、
いかにこの題材とこのスタッフ陣の相性が良いかということになる。



そんなわけでこのアニメは最後まで「イケないアニメ」になるだろうが、
気持ち良いは気持ち良いので、
アニメ的エクスタシーは別のアニメで味わって、
このアニメで気分を高めるという意味では
非常に有効ではないか、と思う