ラブライブ4話にみる「富野流」演出術
今期は記事を書きたくなるようなアニメばかりで本当に嬉しい!
というわけで、ラブライブ4話ですよ。
3話までの京極監督の絵コンテは「これからのアニメは京極尚彦が引っ張っていくのでは?」
と思うほど、の熱意と野望に満ちた見事なものでした。
でも逆に京極監督のコンテが素晴らしすぎて、
この先、そんじょそこらのコンテマンがコンテを切ったのでは
落差がひどいことになってしまう、という懸念もありました。
しかし、そうはならないのがこのラブライブの底力なのか。
あの”富野イズム最後の後継者”渡邊哲哉さんの参戦とは!
渡邊哲哉さんはVガンダム・ブレンパワード・ターンエー・キンゲと
平成の富野作品に軒並みローテ演出家として参加し、
その下で演出を学んだ演出家だ。
私の中では、ジャイロゼッターの森邦宏監督と並んで、
富野さんの「最後の弟子」という位置づけだ。
では、ラブライブ4話の渡邊さんの技を見ていこうと思うが、その前に「道具」を借りてこよう。
餅は餅屋、富野流を語るなら富野信者というわけで、グダさんに倣って、
ハイランドビューさんのところから「インスタント映像の原則の素」を拝借しましょう。
引用元:落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』> - HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】
念のため先に断っておくが、これはあくまで「富野監督の」映像の原則である。
もうちょっと拡張すれば富野流の原則である。
茶道の流派と同じく、映像の流派にも型がある。
しかしその型は普遍的なものではない。
表千家と裏千家では型が違うように、富野流と宮崎流でも異なるというわけだ。
そして今は、「富野流」の使い手の渡邊さんのコンテを富野流の教科書を参考にして見てみよう。
例えば、Aパートの冒頭のアルパカのシーン
最初のカットは
飼われているアルパカに対して人間である主人公たちは上手にいます。
また人間の中でも
やる気に満ち溢れている二人は上手にいます。
また最初のカットで
→の方向に引っ張っていこうとしているのも、富野流でいう「演出の流れ」の一つ。
「→の方向」は「ビラ配りをする」という「上昇志向」を意味し
「←の方向」は「アルパカでサボる」という「堕落・サボり」を意味しています。
さて、この次のカットでアルカパが人間に対して反抗してきます。
実にさりげなくイマジナリーラインを超えてきてますね。
このライン越えがいわば関係性の逆転の「フック」となります。
同カットの中で茶色い方のアルカパが牙?を剥いてきました。
金田さんの描く敵メカのようにアオる茶色アルパカ!
これは完全に上手の「強大な敵」ですね。
そこに「→の方向」の力、希望の力をもって
花陽ちゃんが登場。
さくっと
アルパカたちの「上手」へ立ちます。
この後、さらに数カットを経て、花陽の「上手」にほのかが立ちます。
という感じで、富野流の映像の流れが構築されていく。
その中で、特に秀逸だったのが、
なんと言っても、一年生トリオのシーンだ!
「下手」に座り迷う花陽のもとに、
彼女を後押ししようと「上手」に現れるニシキノさん
おもむろに発声練習を始めます
座っている下手とそれを立ち上がらせる上手。
お手本のような構図ですね。
前回の「星川系」の話で言えば、ここでシンプルな横位置を使っているのも演出の巧みさ。
3カット挟んで
このアオリの上手下手の構図!
まるで出崎さんのようなレイアウトですね。
この魂の共鳴のようなハーモニーを経て、通じ合う二人
だが、そこに新たな要素が現れる!
ここでイマジナリーライン超え。
リンの登場を意識的に描き、かつ二人の間に入ってくる「→の方向」で逆行してくる。
励ましてもらってたといわれて、照れてしまうニシキノさんは
振り返るという動作によって、「上手」から「下手」へ転落。
テレから我に返り、
「そんなに急かさないほうが良い」と「上手」に立ち「自然さ」の必要性を主張します。
花陽に無理強いさせてもしょうがないと言うニシキノさんと
強引でも決めてあげたほうが良いというリンの構図。
そしてさらにここからもう一展開させます。
シーンは繋ぎっぱなしですが、この切り替えしによって、
主題が変わります。
つまり、「先輩たちのところに連れて行くかどうか」です。
リンは
強者として上手として、「→の方向」つまり、上昇志向・希望の方向へと花陽を引っ張っていこうとします。
そこへニシキノさんが
「←の方向」で止めます。
ここのニシキノさんの「下手」は何なんでしょうか。
色々と解釈があるとは思いますが、
百合オタとしては、
「花陽とリンの関係の友情に対する『下手』」なんじゃないかな、とか考えてしまいますね。
それにしてもこのカットの構図もめちゃくちゃかっこいい。
ポーズの使い方が本当に巧みで、まるで漫画の一コマのような見事さ。
そこから、下手で「テレ」を再び見せて
からの、
吹っ切れの
「上手」!
ニシキノさんも、花陽を強引にでも連れていこうという上手の思考に切り替わったのだ。
そして、上手下手の一種のギャグともいえる
互いに「自分が本妻だ!」といわんばかりの「上手」争いw
とまあ、本当に見ごたえのあるシーンでした。
京極監督がシーンをばっさばっさと切って切り替えていくことで圧縮しているの対して、
渡邊哲哉さんは一つのシーンに何個ものテーマを持たせることで、
その分シーンを減らして圧縮しているんですよね。
このシーンで言えば、
「花陽とニシキノさんの共鳴」
「ニシキノさんとリンの花陽を巡る対立」
「花陽を引っ張る二人というトリオ構成」
というそれぞれでシーンを作ってもいい、3つの物語をぎゅっと凝縮している。
方法は違えど、圧縮率を上げようという意思は同じと見えます。
この話の面白さの根本には
この一年生3人の人間関係の面白さがあるんだと思います。
二年生トリオのような仲良し3人組みではなく、
それぞれに傷も強みも持った3人。
しかも、二年生トリオではほのかが引っ張っていくのに対して、
花陽は引っ張られていく存在。
でも、花陽の面白いところは、引っ張られることで、
結果的に他の二人、リンとニシキノさんを動かしているということだ。
自分で積極的に動く2年生の中心のほのか
⇔自分は消極的で動かされる(ことで他人を動かす)1年生の中心の花陽
この対比がまた面白い。
個人的には、この回で一年生トリオがぐっと好きになりました。
前回まではこのアニメの「マクロ」の部分が好きでしたが、
この3人については完全に「ミクロ」の部分、この3人の人間関係とかキャラクターとかが
凄い好みです。
前回までは微妙だなと思っていた声も、この回で一気に好きなりました。
富野流にはこういう「熱の篭った素人っぽい演技」が見事に噛み合う。
渡邊コンテだとニシキノさんの声がまるで村田秋乃さん・鬼頭典子さん・小林愛さんの系列に連なる
声優であるかのような錯覚を受けてしまう。
多分、錯覚なんでしょうけど。
やばいなぁ、本格的にこのアニメにハマリだしちゃったなぁ。
俺たちに翼はない以来の超大ヒットかもしれない。
おまけ
このシーンが劇場版クラナドの
を思わせて、ああやはりアニメの系譜というのはあるのだな、と笑えたり感激したり