ステラ女学院から見るキルラキル3話、キルラキル3話から見るステラ女学院


キルラキル3話を見て、
お話の部分で
ステラ女学院を思い出したので、
それについて書いておく。


流子のパワーアップ部分の流子と鮮血の台詞

流子「神衣を着るってことはお前と一体になるってこと、
   お前が私に素肌になるってこと。それがお前を着こなすってこと、そうだな!鮮血!」
鮮血「ああ、その通りだ!」



これを聞いた時に思い出したのが、ステラ女学院の4話のそのらの、どうしたらヒットが取れるかの説明

「そう、ゼロセンチメートルだったらヒットはとれる。そのためには、
撃つものと撃たれるものが同じになればいい、わかるか?
撃たれる的は撃つ自分だ、相手も、味方もサバゲーフィールドの全てを同じにするんだ。
そしたら自分と的は、ゼロナノメートル


キルラキルの「キル」は着るであり斬る
ステラではそれは撃つになる。
服が素肌になる」とは「キルものとキラレルものがゼロナノメートルになる
ということ。
同じになるということ。


では「同じになる」とは何なのか。


キルラキルを見ると、
一つは流子が鮮血を認めたことを意味しているように思う。


流子の台詞によれば
「お前が無駄に血を吸っていたのは、私が恥ずかしがってお前を拒んでいたから!」
であり、
拒むのを辞めて鮮血を認めたので、流子と鮮血は一体となった。


これで一応筋は通っているが、
もう一つ「同じになる」の意味するところがあると感じた。
それが
マコの

「流子ちゃん、あなたは皐月様に負けてない、
 あなたのおっぱいは皐月様よりおっきい!」
から続く、長台詞である。


「恥ずかしさを捨てろ」というための論理であるが、
そこに「流子ちゃんは良いおっぱいしてるから恥ずかしがらなくていい
という論理を持って来た。


つまり、変身口上の台詞の
「流子から鮮血への『恥ずかしい格好させやがって』という拒絶」だけでなく、
流子の、流子自身への拒絶」も問題しているのではないか。



そう感じたのは、
ステラ女学院の11話の丁次郎の台詞

自分を認め他人を認めろ、そうすれば世界の全ては・・・(ゆら「自分の居場所」)」
というのを思い出したからだ。


他人を認める=鮮血の形を認める
自分を認める=自分のおっぱいに自信を持つ


この二つを満たして、初めて、
一体になることが出来る、そういう風に感じた。



ステラ女学院は、
ゆらがこのことに気づくまでの物語であった。
ゆらは自分が認められないし、だから他人を認めることも出来ない。
それに気づくまでの話。


それに対して、キルラキルはこの問題を3話にして超えてきた。
流子はすぐに気が付いた


それはなぜか。
ゆら=川尻監督
流子=今石監督
と見て、それぞれのパーソナリティの差、と見ることは確かに出来る。
ただ、それだけかというとそれは思えない。


鍵はマコそして皐月
つまり、流子は友人のマコにおっぱいを承認されることによって
「自分を認める」きっかけを得た。
皐月の
「それを俗な価値基準で恥じるなど、まさに己の小ささの証明!」
という言葉も、流子へのヒントになっただろう。
あるいは、もしマコが現れなかったら、
教師の美木杉がそれを示唆したかもしれない
(彼も流子を助けにいこうとしていた)



しかし、ゆらにはマコのような友人はいなかったし、
皐月のような好敵手もいなかった。
美木杉のような教師もいなかった。
そのらは彼女を導けなかった。
そういうものがいない彼女は、自分でそれを乗り越えなければならない。
だから、彼女には11話という時間が必要だった。



これを「ゆら=川尻監督、流子=今石監督」という図式に戻すとどうか。
今石監督には、庵野さんや鶴巻さんを始めとした先生がいた。
今石さんと庵野さんの関係については

小黒 前に今石君からGAINAXの事を聞いて、いい話だなあと思った。彼がまだ新人だった頃に庵野(秀明)さんが「今石、これを観ろ」とLD―BOXを押しつけていたんだよね。

http://www.style.fm/as/04_watch/watch01_1.shtml

という話もある。
また、吉成さんや芳垣さんや高村さんなど、好敵手であり仲間である人たちもいる。
特に芳垣さんはまさに「盟友」とも言える存在で、今石さん自身も

今石 彼は同期なんです。動画も一緒にやったし、初原画をやったのも一緒だった。
   そういう意味でいちばん、同級生感が強いんです。本当の同期で残っているのは芳垣だけだから。
   佐伯君とか高村君は微妙にずれているから。それだけ付き合いが長いと、趣味もよく分かっている。
   僕のやって欲しい事を全部分かってくれる。

http://www.style.fm/as/01_talk/gaina03.shtml

キルラキルでも1・2話で連続で原画として参加している。
彼は確かに流子のもっているものをもっている。


また「流子=今石監督=そのら
としても同様だ。
そのらには、カリラという親友凛という好敵手
そして亡くなっても信じることができる師匠がいる
彼女も流子と同じく、「3話で一体になることが出来る環境」をもった人間だったのだ。




そして、3話のラスト、
「対全部活」という展開

これは、
ステラの実質最終話である12話の
「対全校生徒」

と重なって見えた。


ステラ女学院では描かれなかった、「対全校生徒」。
その先の先が、キルラキルでは見れるのかもしれない。
力石がジョーの先をいく「明日のジョー」であるのと同様に
今石監督が川尻監督の先をいく「明日」であれば。