ソウルイーターノット 橋本昌和監督の硬質さ
なかなかパソコンに向かう時間がないので
スマホから更新していくスタイルに切り替えていく。
キャプとかタグ打ちとか基本なし。
今期はソウルイーターノットがイチオシ。
橋本監督のテレビシリーズとしてはTARI TARI以来だが、
その硬質さは健在。
エンジェルビーツの最終話からの橋本監督の硬質さにハマってる身としてはありがたい。
この橋本監督の硬質さというのは何なのだろう?
最近、それをよく考えている。
まず、硬質な画面について言われるのが、
『FIX』と『ロングショット』の多用。
FIX、ロングショットはいわば『定点観測』あるいは『監視カメラ』であり、機械的な印象を与える。
しかし、橋本監督の硬質さはそれではない。
むしろ、『アップ』でのカット割りが独特に感じる。
橋本監督は、複数キャラがいる場面でもキャラ一人のアップを使う。
アップで複数キャラを出すと、キャラの距離感から温もりを演出したり出来るが、
橋本監督はそれをあまりしない。
むしろ、アップでも余白をとったカット割りにする。
また、アップにしてもキャラのかきこみ量も変えない。
山内重保さんのアップ戦略とは真逆。
だからこそ、橋本監督らしい硬質さが生まれる。
演出面で言えば、キャラの感情に対しての画面の反応が薄いというのも特徴だろう。
例えば、ソウルイーターノットの主人公の「ガガントス」という台詞。
この台詞を言っても画面は何も変わらない。
アップにもアオリにもならないし、背景が変わったりもしない。
演出が「ガガントス」というセリフをスルーしていると言ってもいい。
このスルーが硬質さを生んでいる。
と、ここらへんで、そろそろ時間。