ソウルイーターノット 橋本昌和監督の硬質さその二

橋本昌和監督の作品は、そもそもキャラクターの感情が抑圧されている。


例えばエンジェルビーツの最終話。
卒業の話ということもあり、
もっと湿っぽくなるかと思いきや、
非常に淡々と進んでいく。


これは、各キャラクターのセリフが感情を内に秘めたものであるからだ。
卒業式中で一番感情を見せたのは直井だろうが、
直井も「抑圧から漏れ出てしまった」という
感じの仕上がりになっている。


この抑圧があったからこその音無の無様な自爆が生きてくる。



エンジェルビーツの時は、堀川社長の差し金か、話数と橋本昌和さんの方向性が一致していたため、
それまでの、話数の感情を表に出した雰囲気とは一変して、
印象深い話数になっている。
(追加話数が「ハイテンションシンドローム」だったのは象徴的)


このエンジェルビーツの最終話の抑圧感を
作品通して行ったのがTARI TARIだった。


こう見ると、橋本監督がシリーズ構成や脚本を兼任する目的も見えてくる。
演出段階だけでなく、脚本の段階で台詞を抑圧的なものにする事によって
作品の感情レベルをコントロールしている。


ソウルイーターノットでいうと気になるのは3話。
1話は監督コンテであり、2話のコンテの坂田さんは硬質な作品を得意とする演出家。
一方、3話の石平さんはエンジェルラヴィ以来のハイテンション側の演出家。


例えば3話のアーニャが頬を赤くしながらむくれてるカット。
あのカットは感情の発露を上手く演出しており、橋本監督の抑圧感とは別種の巧みさがある。
その一方で、嫉妬しているアーニャの台詞が少ない事で抑圧感も担保されているのだ