GENJI再見〜萌えという現象は〜

GENJIの既放送話数を全話見直す


一気に観直すとまた印象が違うね
特に2話の印象が違う


元々、六条と葵は対比させる形になってたんだな
リアルタイムで観てた時は
「ハーレムアニメのヒロイン紹介」のようなものかと思っていたが
見直すと、はっきりとこの「二人」にスポットライトが当たっていたことが分かる


3話で夕顔についての嫉妬を二人で順にしてるしw
そこに藤壺と紫が殴りこんでくるのが4話


確かに紫の位置づけって凄く難しいね
ただ、その難しい中でその位置づけが
「萌え」キャラなのも確かなところ。


この物語においてセクシャルでないのは4話までの葵と
紫だけである。


これだけセクシャルな関係が満ちている中で、
プラトニックな関係を保っている。
でもそれが崩れかけている。
その状態を「萌え」というのではないだろうか。


つまり
プラトニック→セクシャルという関係の変化の
この「→」にあたる部分が「萌え」といわれる現象なのではないか、という事だ


GENJIではセクシャルな関係の方に重点を置かれている、
というのは誰も疑いようのないところだろう。
プラトニックと「→」の部分が少ない(あるいはない)代わりに
セクシャルな部分に時間を割いている。
(GENJIの中心ともいえる藤壺との関係も
1話で源氏がキスをしてから先、ずっとセクシャルな関係である)


だが、紫だけは違う。
彼女だけは「→」の部分、つまり「萌え」の部分にしっかりと時間が割かれている。
藤壺との事があるので、源氏と紫との関係は完全なプラトニックではない。
しかしセクシャルでもない。
そういう「→」の期間がこの二人には、物語構造的に長くされている


だから、妹萌えの人は引っかかる。
普通の人が見落としてもそこに気づく。


上の仮説からすると、「萌えアニメ」というものが
いかにその微妙な関係性を描いているかが分かる


それは例えばアキカンのような「偶発的なキスから始まる」物語だったり
明日のよいちの様に「偶発的に胸を揉んだり」だったり
あるいは上条さんみたく「偶発的に全裸を見たり」とかね
「同棲する」という設定が多いのもそこだろう


さて、この「→」状態を続けてきた紫と源氏がどうなるのか。
結果は分かっている。
その過程を出崎がどう描くか。
見所である。