ディアーズ DearS 〜おねがい?うるせい?あかほり?いいえ

ディアーズ DearS」を観る。
おねがいシリーズ→ディアーズという流れはやっぱり意識せざるおえないね
同じ会社とは言え、スタッフは全然違うけど


井上喜久子が女教師やって、
中原・清水コンビが押しかけ妻となれば、
どうしてもおねがいシリーズを思い出される


井上喜久子の教師がきっちり痴女だったり
世間知らずの清水⇔小姑風味の中原
という対比もポイントが高い
しかも、おねがいとは逆に、中原・清水コンビが宇宙人と来ている
清水愛にカタコト系ってあたりにバンダイビジュアルの戦略を感じるけどねw
(舞HIMEの制作状況からすれば、ほぼ同時期にそれってどうなのよw)


だが、観ていけば、この作品の本質は
「おねがい」とは別のところにあることが分かる。


やはり「宇宙人が押しかけ妻」となったらまず意識すべきはアレであるべきなのだ
そう、「うる星やつら」である。
むしろ黒田洋介が「うる星」的なものの発展系あるいは修正型だといった方が
正しいかもしれない。


この作品の監督の鈴木行は元は「うる星」のアシスタントディレクター、
その後に「めぞん」「らんま」の劇場版も担当している。


このディアーズも元は女性原作者によるもの。
まさしく00年代版うる星と言えるだろう。


それが顕著なのはやはり「商店街」というものの存在
最近の萌えアニメがどんどんと「舞台」を狭めている(箱庭的、というらしい)中で
非常に「世間」を感じされる作りになっている。


ただ、次に設定に目を向けると、黒田とは別の「うる星」の派生系に行き当たる。
それは「アニメ様アニメ史観」的に黒田と双璧をなす90年代の成功者
あかほりさとる」だ。


おねがいティーチャー」で先生が主人公を好きなる事について
グダさんのツイッターで「黒田的リアリティ」とか書かれていたが、
この「ディアーズ」の論理はまったく違う


『好きなる過程なんてやってられるか。わかりやすい設定で縛り付ければいいんだ』


そう、これが「あかほり的リアリティ」なのだ。
まあぶっちゃけちゃうと、セイバーマリオネットだよね、という話
「人間に尽くすための存在なんだがら、主人公を好きになって当然」
ある意味では「うる星」の疑問に対する一つの回答である事は間違いないだろう。


だが、このアニメはここで終わらない。
ラストを観てわかる事がある


ああこれ、キングゲイナーか、と


このお祭り感覚のラスト、この「告白」、これはまさしく富野イズムじゃないか
そこで再び、鈴木行監督に戻る。
この人、「ザブングル」の助監督でもあるのだ
ザブングルキンゲ
の流れは今更であろう


個人的に、こういうラストは非常に好みです。
当事者達だけでなく、外野がやいのやいの言う感じが良い


他、作画的な見所
・4話の教室の中での主人公とオイヒコのところらへんが陰なしで地味に巧い。
 まさかむらかみてるあき?まさかね
・12話の柿田パートはわかりやすく先生のバイクのエフェクトですねw
・EDの杉本さんの踊りうめぇ


別冊宝島の出崎インタビューのレヴューもしたいなぁ