出崎が源氏物語にクラナドを観た、と言えば鍵信者も少しは溜飲をさげ

かつて、関連スレで
「出崎はAIRに手塚治虫を見た、と言えば鍵ファンも少しは溜飲をさげてくれるだろうか?」
と書いたことがある。
そのレスで「褒めてるつもりかもしれないが、手塚と比べられてもまったく嬉しくない」
と言われて、鍵信者というのは俺にはまったく理解出来ない連中かもしれないと思った


10話視聴終了
兄貴かっこいいよ兄貴
国を背負って立つ男の器の大きさ
なんで4クールないんだろうな、もう


★「CLANNADとGENJIは相互的に理解を深めるべきである」


さて、出崎統という監督は以前にやった作品に非常に影響を受けやすい監督である。
それはどっかで書いた通り、
出崎にとってキャラクターというのは実際に存在しているものだからだろう。
作家が、現実の友人との会話や出来事を作品中に活かすように
出崎は今まで出会ってきたキャラクター達との邂逅を作品にぶち込む


そもそも、いくら「紫」式部だからと言って、「紫」色の女性が多すぎるだろう、とw
まあ、俺がチェックしてる限り、
ウルトラヴァイオレットの次が紫式部とか、親父ギャグかよw』
みたいなツッコミを観た事がないw
まあまずはGENJIの女性たちはそこ


そして、やはりCLANNADの影響は男を中心に大きい。


1話の「繰り返しの観る夢〜告白」という流れを指摘したが、
そもそも「母親を幼くして亡くした主人公」で「ジョーのようなもの」
と来てる。比較しない方がおかしい。


そこで、GENJIから逆算してCLANNADを読み解くと、一つ分かることがある。
源氏=朋也
桐壺=朋也母
藤壺=渚(=母親の代理)


そう、朋也は渚に母親を見ていたのではないのか、という事である。
「朋也が渚の何に惹かれたのか」
それは朋也しか知らない事である。
でも少なくとも出崎はそういう風に解釈している節がある。
例えば「エプロン姿でバイトしている渚を見に行く」という
シーンのチョイス。わざわざなぜそういうチョイスをしたのか、と


さて、そうするとこの源氏と朋也のトラウマはまだ終わらない事に気づく。
もうお分かりだろう。
・若紫=汐(=母親の代理の代理)


逆に言おう、源氏と朋也は若紫と汐の存在によって、
いまだに母親の呪縛から逃れられないでいる。
ここが重要なのだと、思う。
朋也にとっては汐が『居ない方が楽』なのだ。
源氏と違って、朋也は汐と結ばれる事さえ出来ない
呪縛に囚われたまま、ね


だから、汐が死ぬ、というのはAIRと同じく呪縛から解き放たれるハッピーエンドなのかもしれない。
その結果が、朋也の死だとしても、新しい恋だとしても。
ただ、出崎はそんな『甘い現実』は見せない。


そういう意味ではやはり出崎版CLANNAD AFTERをやらんと駄目でしょw
中学生くらいになった汐を見て欲情しそうになる朋也、みたいなw