出崎版渚に見る出崎の女性観とスタンス

http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20090320#c

http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090320
からインスパイアーされて


まず666さんの方から
>要するに「まともな女性とは怖くて付き合えないから,自分より弱い者を愛す男」のことをキャロル神話系男子と呼びたい.
>典型的なキャラとしてはKey系作品に出てくる主人公はそんな感じ.
>虚言症,記憶障害者,自殺志願者に吃音,ヒキコモリ,盲目,唖障害,かんしゃく持ちの登校拒否児などなど,の女の子たちを
>次々とオトしていく.鬼畜だ.


そんなわけで、「自分より弱い者を求める男」と「弱いヒロイン」
という構図がまずある。
まあクラナドの渚は見事にこの「弱いヒロイン」でしたね


だが、出崎の女性観ではこの部分にまず疑いをかける。
ここで、別冊宝島の出崎インタビューを引用しよう


「本当のところはわからないけれど、女性って自分がいいと思えば、そっちの方向にいくらでも変化(へんげ)
していけるんだと思うんですよ。たとえば、男が私のこういう部分を見ているっていうことがわかったら、
実際にそういうふうにしていくよね。
女性というのは生まれた時からそうなんだよ、きっと。


かわいいよって大事に育てられたりすると、男より早く恋をするだろうし、
相手の気持ちもわかるようになるだろうし。男なんてどんなに良い大学でたところで、
相手の心がまったくわからないヤツはいっぱいいる。


でも女性は相手が何を考えているかを察知して、よく思われるように平気で演じたり出来るんですよ。
これはけっしてバカにしてるわけでも、批判しているわけでもありません」


この流れでインタビューを読めばお分かりだろう。
彼女は本当に弱いのではない。
男が「自分より弱い者を求める」から彼女は「弱いヒロイン」を演じているのだ。
少なくとも出崎からは、渚という女はそう写る。
「渚が本当はどうなのかはわからないけどよ」と出崎なら言うだろう。


とすると、ashizuさんのこの問い


>そもそも、渚が朋也と出会う場面で、渚のほうが朋也に積極的に話しかけているのはおかしいのではないかと思った。そんな積極
>性を持っているのなら、ひとりで十分に坂道を上っていけるのではないか、と。
>百歩譲って、渚から朋也に話しかけるのはまあいいとしても、なぜ他にたくさん学生がいる中で朋也に話しかけたのか、
>そこのところがちゃんと描けているとはまったく思えない


の前半の答えはわかるだろう。
なぜ「内気な渚」「弱い渚」が朋也に話かけたのか。
彼がそういう自分を求めているように感じたからだろう。


後半の「なぜ他にたくさん学生がいる中で朋也に話しかけたのか」
この部分についてはさらに補足として出崎インタビューを引用しておくと


「ところがアニメーションってのは実写とちがって理屈が多いんですよ。
変な伏線張ったりさ。
実際の人間の感情というのは、そんな段取りを超えたところで出てくるものじゃないですか。
映像表現もそうあるべきだし、そのほうが断然面白い。
段取りや論理というのはすべてそのキャラクターの心の中にあるんですよ。
何もそれをわざわざ説明して言い訳する必要はない」


だそうです。
そういう意味ではashizuさんの言うとおり、
京アニ版は渚と朋也の出会いについて非常に理屈の通った「言い訳」をしていたと思います。


でもそういった理屈や、インタビューからの分析がなかったとしても、
出崎版渚からは独特の生々しさを感じた思います。
それは不可解さであったり、生命力であったり、色々ですが、
出崎監督にとっては作品を作る目的は、そういうところを表現する事にあるのかもしれません。
たとえ「テーマ」が伝わらなくても、ストーリーがありふれていようとも、
「渚」という女性の生々しさが伝われば、それでいい、と


何度も言いますが、出崎監督のスタンスは
「きっと渚はこうだったんだと思うよ、実際のところは分からないけど」
というものであって、断定はしません。
そこが重要なように思います。


というわけで最後に少女革命ウテナから好きな台詞を一つ


「人の心の中というのは、薄いシルクのベールに包まれたようなものです。
覗けそうで、なかなか覗けない。人が心の中に持っている王子様というのは、きっと他の人には分からないものですよ。」
                                      by風山十五