まりあほりっく三重苦〜出崎が古いとか言う奴は何もわかっちゃいない

「時間がないんだ」 by宗方コーチ


さて、作画・演出情報誌とかした季刊エス新房昭之
まりあほりっくの映像面での目標は、絶望先生に引き続き、出崎統だ、と
言っていましたね。


「三回パンとかじゃなくてそういうのじゃなくて、『俺出崎』」


だそうです。
ここらへんが、GENJI一辺倒だった今期で、
わざわざ、まりあほりっくで一つ記事を作ってしまった所以でしょう。


しかし、まりあほりっくは「俺出崎」度がいまいち中途半端になってしまったと
少なくとも俺は思う。
まりあほりっくが「俺出崎アニメ」になるには3つの苦難があった。


1、同時期にGENJIがやっていた


これはでかい。だってオリジナルがやってるからね。
どうしたって見比べてしまう。
出崎がやるから必ずしも「出崎度」が100点なわけでもない。
あしたのジョーでも出崎コンテとそれ以外では出来が違うとは新房の同インタビュー。
ここらへんはグダさんに『あしたのジョーの富野コンテ』についてもゆくゆくは語ってもらいたい)


だが、ことGENJIに限っては出崎全話コンテ・杉野作画(アニメーションノートに載ってた総作監修正が凄まじかった)
も手伝って、00年代ではもっとも出崎度の高い作品だった。
これを相手に「俺出崎」をやる新房の心情は悲喜交々といったところだったのではないだろうか。


2、原作の出崎度の低さ


原作は出崎度が低い。(絶望先生はああみえて出崎度が相当高い)
これは感性の違いなので良い悪いではないが、
「出崎度」に関してはレベルが低いといわざるおえない。
それはすでに記事で触れた事(稲森さん絡み)だったり、
イジメ関連の話題であったり、ケンリュウ様であったり、頭の中将神父であったり。


この作品・原作者に配慮しつつ「俺出崎」をやるというのが、新房の挑戦だったのかもしれないが、
その壁は高かった。


3、スタッフの「出崎」認識の低さ


これは季刊エスでの新房のコメント受けての事だが、
出崎統」を周りのスタッフが分かってくれないという。
それは仕方がないだろう。
某演出家も出崎には詳しくないというし、
板垣伸によるとテレコムのベテランアニメーターの出崎認識でさえも
「透過光・ハーモニー・三回パン」というレベルがほとんどだと言う。
これで『俺出崎』をやろうとしても、
それこそ新房自身で全話絵コンテ切るくらいでないと厳しいだろう。


まりほりが色々と惹かれるところがありながらもしっくり来なかった事を一言でまとめれば
「出崎度が以前の新房作品と比べても低かった」
これに尽きるだろう


・「出崎統は古い」と言い、「新房シャフトは新しい」と言う矛盾


結局のところ、こういう事を言う奴は
初音ミクが出てくるアニメが新しいアニメ』とか言ってる奴よりアニメ理解度が低い。
出崎信者で某機動武道伝でさえ出崎演出やってた西村純二の「true tears」を
「新しいアニメの文法」と言ってみたり、
こういうレベルのやつが平然とアニメに携わったり、
「アニメ評論」を仕事にしようと言うんだから、
そりゃ視聴者が育つわけがない。


結果「古いアニメ」もろくに見たことない奴が


『透過光・ハーモニー・三回パンは古くからある演出技法』
出崎統は透過光・ハーモニー・三回パンを使う』
『だから出崎演出は古い』


という、めちゃくちゃな論理を吹き込まれてアニメを見て、GENJIはギャグとか言う。
そんな見方でアニメを見てたら内容(ストーリーという意味ではなくアニメ自体の)が入ってくるわけがない。
内容が入ってこないんだから
「ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する」
のも仕方がない。


以下中二病全開な小説から引用


「どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。名前はありません。名前を付けるほどの島でもないからです。
とても下品な形をした下品な島なんです。そこには下品なかたちをした椰子(ヤシ)がはえています。
そしてその椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。でもそこには下品な猿が住んでいて、
その下品な匂いのする椰子の実を好んで食べます。そして下品なクソをするんです。
そのクソが地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。
そういう循環なんですね。」


「僕の言いたいことはこういうことなんです。ある種の下品さは、ある種の淀み(よどみ)は、ある種の暗部は、それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。そしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。たとえ当事者が止めたいと思ってもです。」