アニメと比べたら美少女ゲームなど、烈海王の前の愚地克巳も同然


黒瀬陽平の「キャラクターだけの世界──美少女アニメとしての新房+シャフト作品」
という評論を某所で読んだので、思いついたまま書く。


最近の流行の「美少女ゲーム好きでアニメも見てる」タイプの人だ、
というのがよく分かる文章でした。


でも面白い部分というか、「畑違いの人の見方」という意味では
興味深い部分もあった。


・「美少女アニメ」とは何か
この評論では以下のような説明がされる
>一般的に「美少女アニメ」という言葉の起源は、一九八四年に発表されたOVA『くりいむれもん』シリーズに求められる。
>その後しばらく、アダルトアニメの一ジャンルを示すに過ぎなかった「美少女アニメ」が、
>現在のような拡がりを持ち始めたのは九〇年代後半のことである。
>すでに何度も指摘されていることだが、九〇年代後半以降の美少女アニメは、
>その当時、全盛期を迎えつつあったPC用の「美少女ゲーム」と歩みをともにし始める。
>当時高い人気を獲得していた美少女ゲームが次々とOVA化され、
>しだいに美少女アニメは、「美少女ゲーム原作のアダルトOVA」という関係を定着させていった。


一応ツッコミ部分としては
1、「美少女アニメ」はアダルトアニメに限ったものではない
2、「美少女アニメ」は「美少女ゲーム」とは直接的には関係ない


ただ上記のツッコミは、
『美少女「アニメ」の広がりは90年代前半。「美少女ゲームのアニメ化」の広がりが90年代後半』
という、言わば「ゲーム中心かアニメ中心か」という見方の差でしかないので
どうでもいいっちゃどうでもいい。
東とかこの黒瀬のゲーム中心的な認識の中に
ミンキーモモ」「セーラームーン」「天地無用」が無くてもしょうがないことだろう。


それよりもアニメ側として重要なのは
「くりいむれもん」は「ガンダムのセイラのシャワーシーン」
からビジネスのヒントを得たものである、ということだ。
つまり、直接の表現の先駆者として富野がいるわけだ。
富野風に言えばアニメが「おま○こしたいと思えるレベル」まで来た瞬間と言えよう。


さらに「くりいむれもん」については2巻が百合モノだった事も重要で
ここからの、
百合モノ〜AICの美少女モノ〜天地無用(ハーレムの夜明け)
という流れはアニメ側からの「美少女アニメ」の変遷としては押さえておきたいところだろう。