マリンは夏音のためにしか攻撃しない。

うみものがたり」2話について、
ネオのアニメ日記さん
http://d.hatena.ne.jp/arata0219/20090702


>いきなり戦わないといけない事態になってるのに
>あの優しい性格のマリンが何の疑問も持たないってのは違うと思う。 
>美少女ヒーロー系アニメのお約束のプロセスを数段飛ばしたまま
>いきなり怪人と戦い始められても話に入っていけるわけがない。


という、至極真っ当な批評を見る。
ただ、その反面、「美少女ヒーロー系」というのに捕らわれてた物の見方でもあると思う。


>なんか全体的にARIAにしたいのか、おじゃ魔女にしたいのか方向性が中途半端な気がする。


というが、なぜその中間が存在すると思わないのか。
なぜそんなジャンル分けにこだわり、ジャンル分けを元にした見方をしてしまうのか。
このアニメは「ARIA」でも「おジャ魔女」でもない、「うみものがたり」という作品なのだ。




この2話を見て「もっとARIAみたいなアニメかと思ったらバトルモノでびっくりした」
というような感想がそこここのブログであった。
雰囲気的に空気系・まったり系でしょ、みたいな。


でも違うんだよね、というのがこの作品のミソだろう。
同様に、変身・バトルときたから
「美少女ヒーロー系」という読みは
まさに泥沼
はまっている………………………
すでに泥中 首まで
………………………………!


本編を見ていくと、バトルをはじめる前にこういう台詞を亀が言う
「戦い方は先ほど教えたとおりだ」


つまり、夏音が母親に会って〜タコ怪人に会うくらいまでの間に
マリンは亀からさらに詳しい説明を受けていたという事。
勿論普通の「美少女ヒーロー系」ならその部分の説明は重要


でもこの「うみものがたり」ではその部分は重要じゃない。
夏音のモノローグを見せる方が重要なのだ。
マリンは変える側、夏音は変わる側。
夏音が変わっていく物語になるだろうことは、
容易に想像がつく。


さらに重要なのは、佐藤順一の「主人公は友達想い」主義も発動しているということ。
そのために前半で「夏音ちゃんは友達」宣言をさせている。


つまり「友達想い」主義の流れでは


夏音は友達→夏音がピンチ→友達は何が何でも助ける


という段取りが働いている。


よく本編を見直してほしい。
マリンは「夏音とタコを引き離す」ためにしか攻撃していない。
むしろ、それを表現しようとしたあまり
夏音何度も捕まりすぎw」って方が気になるくらい。


一回、砂川パートっぽい触手サーカスのところでビームを触手に撃ってるが、
そこで「夏音ちゃん早く逃げて!」と言ってるのに注目してもらいたい。
つまり、夏音の逃げる時間を稼ぐための攻撃なのだ。


そして、
「海の仲間のタコを助ける」
という流れになる。