レイアウトの文脈
やっと研修が終了〜
4日間もアニメ見れないとか地獄。
なので、基本的に何か新しい事を書くことは出来ないけど、
アニスタのアニメ様が面白い事言ってたので、それについて
具体的には
http://www.style.fm/as/05_column/365/365_170.shtml
の記事。
ヤマカンが望月に似てる、とかじゃなくて、
下の方の
>(単純にレイアウトに凝った作品という事なら、押井守監督のものをはじめとする劇場作品がある。
>ただ、それらは微妙に文脈が違う)
この部分だ。
この押井のレイアウト「文脈」とは何か分かるだろうか。
まあ、このブログで話題にするんだから、もちろん「あの御方」、出崎統の文脈だ
「実写映画のレイアウトと日常表現」
がハイジから始まり望月・ヤマカン・萌えアニメに繋がる文脈だとしたら
「抽象的なレイアウトと非日常表現」
こそが、ベラドンナ・出崎・杉井らから始まり、押井に繋がる、「もう一つの」文脈だ。
さて、つまりこのアニメ様の記事の文脈はそのまま
・東映動画系(ハイジのパヤオ・高畑、あるいは亜細亜堂の小林治)
と
・虫プロ系(山本のベラドンナ、出崎の劇エース)
の対立の構図、ということになる。
ここで重要なのは「東映動画系」と「萌えアニメ」が地続きであるという認識だ。
アニメ様は
望月〜萌えアニメ
という文脈を使用していて、それも正しいだろう。
ただ、メインストリームはやはり現在のアニメ界の
『ジブリ中心主義』
の方にあると思う。
アニメ様のあげている京アニのアニメに限らず、
萌えアニメの評価基準は、宮崎駿を満点とするもので為されている。
そういう意味では、最近の
「最先端は京アニと新房シャフト」という二項対立は間違ってはない。
東映動画系の文脈上にある京アニの作品と
虫プロ系の文脈上にある新房の作品。