レスとか有名人とかいろいろ

「サマウォにも新エヴァにも足りないもの」のコメント欄で
上遠野浩平の話をkarimiさんとしてたら、
ブックマークにorangestarさんが居てフイタw


なんか最近はぬる〜いエッセイ漫画を描いてるらしいorangestarさんですが、
俺の中ではいかにも厨2病を拗らせた感じの
ロマンのある漫画を描いてた人。


その中でも「傷物の赤」って漫画が、もうorangestar節全開でよかったw
ブギーポップを読んだことのある人なら一発で分かるこのタイトルで、
しかもヒロインが「久我なつき」


いや、素晴らしいねwww
内容も超・厨2病って感じで大好きでした。
普通の厨2病じゃここまでいかないから。


俺の中ではorangestarさんが「となりの何とか」を書くようになってからが「ゼロ年代
それ以前はただの00年代と認識してます。


そんなわけで、上遠野からorangestarさんの流れは納得。



星川さんのブログでなんとなく話題になったよ!
http://blog.livedoor.jp/kanadeyukino/
いつのまにか更新されていて、
余談のところでちょっとだけ話題に。


http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090509のエントリーを見ていただいたようで、
某スレでは「あの星川信者」とか言われた甲斐がありました。


個人的には星川さんのブログの解答編を待ちつつ、
ウテナの星川回の解読をちゃんとやりたいなぁと思ってます。


リア充とロマン

「サマウォにも新エヴァにも足りないもの」で


>odasige アニメ 「リア充に何がわかるて言うんだ!」と言う心の叫びが大切と。


っていうブックマークコメントがあったんだけど。


いまいち「リア充」という言葉を理解しかねる今日この頃。
例えば、東大に行ってバスケサークル入ってる奴が、女の子にもてないという理由で
自分を「非リア充」って言ってるんだけど、
これって使い方合ってるの?


あるいは、受験には失敗に失敗を重ね、家庭環境も最悪だけど
女には恐ろしくモテるという奴もいる。
もう両手の指には収まりきらないくらいのセフレがいるみたいだけど、
こいつは「リア充」なの?そうじゃないの?


とか。
つまりね、本当に何もかも上手くいってるやつなんて、出崎の言うとおりほんの一握りだと思うんですよ。
大抵の人は「充実してる部分」と「失敗した部分」があるはずなんです。


で、何かを表現する時にどっちを核とするか、そこがロマンの分かれ道だと思うわけです。


逆に言うとね、「リア充」って成功しなかった人の中で、
>最終的にはポジティブな方向に進ん
だ人なんじゃないかな、と。


だから、例えばエースをねらえの宗方コーチって「リア充」と言っていいと思う。
悲運な人生だったかもしれないけれど。


そうすると、リア充とロマンは必ずしも相反しないどころか、
むしろ密接に結びついてるのかもしれない。


そう考えると、新エヴァもサマウォも惜しい、と思ってしまう。
彼らには彼らそれぞれの「挫折」があって、その先でそれぞれのやり方で
ポジティブな方向、「リア充」な方向に進んだはずなのに、
そこを単純化して
「家族の力、仲間の力が成功に導いた」とか
「『痛み』や『代償』が払ったから成功した」みたいな
事を言われても、
少なくとも、俺はロマンもリアルさも本物さも感じない。


そして、段取り論的に言えば、この単純化=段取り
なんじゃないかな。
本来、論理では説明できない人の心の動きを
純化することで、あたかも論理的なように見せる。
「家族の力だから成功した」「『代償』を払ったから成功した」


それよりも「死に際の、全力を注ぎ込んだ愛弟子への言葉、でも届かない」方が
リアルでロマンがあるのではないか、と思うわけです。
届かないから彼はリア充ではなかったわけではない。
彼は、彼の中ではそれで良いと思ってる。
そういう人をリア充っていうのかな、と。


酔ってアニメとは関係ない話をしてしまった。
いかんいかん。