寝る前の覚書・劇場版クラナド編


・もう何回も下手したら何十回も見た今では
「GENJIから逆算して劇場版クラナドを読み解く」
のが俺の中ではセオリーとなっている。


・端的に言えば、朋也にとっての「渚」とは母親の代わりだったのではないか
という解釈だ。
渚は文字通り「母親」となったに加え、
疑似家族=だんご大家族の「母親」でもある。
映像に準拠すれば、
最序盤に朋也の母親の写真が2回も出てくる事にも注目したい。


・GENJI側から見ると、前も書いた通り、1話の夢の描写。
「母親が死んでから見るようになった夢」
「その夢が女性と出会って変化する」
というモチーフは劇場版クラナドそのまま。
ならば当然、藤壺=渚


「劇場版エースをねらえ」の物議を醸す原作改変ポイントである
宗方コーチの「ひろみは母親に似ている」発言も合わせると
わかりやすいかもしれない。
(劇エースの件の業界人の解釈
神山説:出崎の照れ隠し
オタキング説:ひろみを目立たせるために宗方の地位を下げる演出
庵野説:出崎さんは大人だから)


出崎の家庭事情とかも注目。


・汐は朋也を一目見て「パパ」だと分かったというのが奇跡。
圧縮度の高い映画だが、ラストシーンは特に高圧縮。
その中でも見逃せない描写がこれ。


・絵の弱さはいかんともしがたい。
特に朋也が肩の腱を切るシーンの直幸の絶叫。
絵コンテの迫力が1%くらいしか反映されてない。


・逆に春原についてはかなり絵コンテのニュアンスが反映されている。
絵コンテの渚は完全に杉野昭夫キャラ。(俺が脳内再生してるだけかもしれないが)


・では「渚」その人をどうとらえるか。
声優が「したたかな女性の演技のプロ」中原麻衣であったのは、幸運な偶然。
少なくとも、この映画の渚はしたたかで強引な女性。
中原麻衣の言葉をそのまま使えば


「何事にも猪突猛進、頭が良くて頑固」


これはゲーム版でも共通の認識なんだろうか。
少なくとも京アニ版は猪突猛進という感じはしなかった。
劇場版は、劇中の表現の通り「まるでダンプカー」


そして、それを「朋也の目」という主観カメラを通して見ることで、
渚に不思議な魅力が宿る。


・なのでファンとしては、中原麻衣の演技をたっぷりと味わえるというのも
この作品の良いところ。