セカイ系の萌芽としての出崎統


出崎統セカイ系そのものではないが、
セカイ系のきっかけを作った男である、と考えられる。


押井守が出崎手法を研究してビューティフルドリーマー
つくり、また庵野も出崎を自らをコピーした場合の「オリジナル」の一人としている。
そして「セカイ系」というものの定義をいち早く言語化した幾原。
出崎とセカイ系を繋ぐ系譜だ


では、出崎の何がセカイ系に繋がったのか。


「気分によっていつも何気なく見ているものの見え方が変わる」
という体験をしたことはあるだろうか。
あるいは凄く緊張していて視野が極端に狭くなる。
あるいは何かに熱中していて周りの音が聞こえない。


こういった感覚をアニメで強烈に表現したのが出崎だった。
例えば光、例えば誇張した画面、例えばさくらトルネード、湧き出るオーラ。


「屋上にさくらの花びらが舞ってるわけがない」


でも、朋也には見えたんだろうと思う。舞っているはずのないさくらが。
つまり、主観的にみれば、
我々は気分によって「世界」を変える事ができる。
その「世界の変化」を表現する。
それが出崎統の大きな功績だ。
いわば「主観的セカイ系


「気分による世界の変化」
ここを「セカイ」に置き換えれば
それはもうセカイ系だ。
しかも、「セカイの変化」の表現のお手本はもういる。


ビューティフルドリーマーで描かれた、「繰り返される日常」は
その意味で非常にわかりやすい。
出崎統
「何しけた顔してんだ!まだまだ俺達の学園祭はおわらねぇ!
俺達が終わりだと思わない限り終わりじゃねえんだ!」
とかやるところを、
「実際に終わらない学園祭にしてしてみた」
って感じw



そしてそれはセカイ系とは別の論点
「抽象化至上主義」への道でもある。
ウテナも新房も細田守もこの道の上を歩いている。


つまり、「気分によって世界が変わる」をさらに推し進めて
「世界の変化で気分が変わったことを表現」する。


気分によってリンゴが兎に変わるのではない
「リンゴが兎に変わることで気分を表現する」


抽象化・記号化


影に穴が開いていることで心情する。
他人のちょっとしたら会話の聞こえ具合で集中を表現する。
そして段々表現の目的さえも無くなっていく。
リンゴが兎にかわること、それが目的になる



出崎も「おにいさまへ」で
「緑の髪のイケメン(ただし女)が
ピアノを弾きながらグルグル回って般若のお面かぶったりして
もうわけわからんことになってただろ」


まあね。
あのサンジュスト様はボンネットに飛び乗る暁生並だったね。
劇AIRの太鼓とかも。