橋本カツヨ信者の憂鬱〜奇跡を信じて、想いは届くと〜


時々不安になる。
時かけ以降の細田守作品が楽しめないのは、
ひょっとしたら、俺が変わってしまったからではないかと。


そして、それを確かめるために昔の細田作品を見る。


今日は会社に行く前に少女革命ウテナの7話を見た。
素晴らしかった。
どこにも文句のつけようがない。
最近は「音」に注目してアニメを見ていることもあり、
音の使い方の秀逸さも再確認することができた。


ああ、変わったのは俺じゃなく細田守なんだ。


漫画評論家のイズミノさんの

おそらく細田守の、(映画監督としての)作家性は、キャラクターを客観的に観察するようにしか描けない、あるいはそういう風に描きたがる、という点に特徴があります。

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20090911/p1


という評は、時かけ以降の細田守を表現するには
狂おしいほどに正しい。
でも、俺の知っている彼はもっと凄いものを持っていた。

――それでは、次に橋本さんについての話を。
風山:橋本さんも、印象深い話は多いすけどね。特に7話は抜きんでていると思いますよ。
幾原邦彦ワールドをかなり逸脱しているというか。
一同:(笑)。
風山:そこが逆に凄いって言うか、普通止めるでしょ、誰かが!! だけど、あの話は橋本カツヨが、止めようとしている監督を振り切っているように見える(笑)。
橋本:いやいやそんなことない。僕は、幾原さん、こんな風にやりたいのかなって、思ってやったんですよ。
あとは、5話の表現の力にどれだけ追いつけるかってことだけを考えてやりましたね。
――でも、5話は幾原さんが一人の演出家として参加した時に、ひょっとしたら作ったかもしれないと思う。でも、7話は作らないだろうという気がしますよね。
橋本:あ、そうですか(笑)。
錦織:枠を振り切っていくエネルギーっていうのが、すごい。突き破ろうという意志みたいなものが、樹璃を通して出ている。
――普段の『ウテナ』が、キャラクターの感情よりも「表現」の方に行きがちなだけにあの話は光っている。

中略


錦織:そうですね、風山十五の絵コンテは、人とか対象に対して、距離をおいて、クールに見てるなと思います。
それが橋本カツヨと対称になっていて、その部分がかっこいいなあと思うんですけど。

――踏み込んでいく橋本と、距離をおいていく風山

http://kasira.blog97.fc2.com/blog-entry-49.html


表現よりも感情
振り切っていくエネルギー
突き破ろうという意思
踏み込んでいく


それこそが橋本カツヨのかつての細田守の特徴だったはずだ。
「キャラクターを客観的に観察する」
ことも細田守は確かに出来る。
佐藤順一門下は客観も主観も出来るように仕込まれる。


でも、距離をおいて客観的に観察するという点では
錦織博の言うように風山十五こと五十嵐卓哉の方が上だ。


五十嵐卓哉細田守も同じく「天才の中の天才」だ。
でも、それはそれぞれの得意分野を十二分に発揮しての話。


俺は「巧く距離をとって観察する細田守」なんて我慢できない。


細田守には「踏み込んでいく細田守」であってほしい。
「振り切っていく細田守」であってほしい。
「突き破ろうとする細田守」であってほしい。


奇跡を信じて、想いは届くと