各話演出家と監督

イズミノさんがブコメで指摘している通り、
確かに、各話演出家としての仕事と監督としての仕事は違うかもしれない。
俺自身も、そう言い聞かせて,橋本カツヨの帰りを待ったことがある。



しかし、アニメ業界の他の演出家を見るに、
特徴的なコンテ・演出をする演出家は、監督になってら大抵その特徴を爆発させている。


挙げればキリがないが、
例えば出崎、例えばナベシン、例えばあおきえい、例えば大地丙太郎
例えば新房、例えばヤマカン、などなど。
富野なんかも千本切り時代のコンテは、やっぱり富野だなぁと思わせるものが多い。


それが、どうして細田守だけあんなことになったのか。
なんで得意の演出をしないのか、出来ないのか、したくないのか


わからん。


個人的には、ナージャあたりから変化は始まっていたのかな、と思う。
「魔女をやめた魔女」は橋本カツヨ分たっぷりだった。


ナージャ当時は、きっとSDの五十嵐卓哉の方向性にわからん合わせるために、
ナージャと距離を置いているのかと思っていた。


オマツリ男爵は良かったが、橋本カツヨとワンピースという作品が
真っ向からぶつかる形になってしまったのは事実だ。
ワンピースで無ければ仲間は死んだままでも良かったはずだ。
オマツリ男爵に勝つ必要もなかった。
「でも、ワンピースだからね」
と思った瞬間に
多分橋本カツヨは死んだ。カツヨイズデッド。