ラブライブ7話の扉について
ラブライブ7話のコンテはまたもや京極監督以外の演出家が現れた。
色々な要素がギュギュッと凝縮されながらも一本の糸が通っていた。
一言で表現するなら「扉の回」だった。
その前に6話の話を軽く
6話のコンテは古田丈司さん。
実は、同週の「キューティクル探偵」の6話も古田さんのコンテ演出でした。
これはまったくの偶然ではなくて、
人脈の成せる妙。
実は、京極監督とキューティクル探偵の満仲監督と古田さんは
「ケロロ軍曹」でかつて鎬を削った間柄。
実際、「キューティクル探偵」のスタッフを知った京極監督は
満仲さんにライバル心を燃やしているようなやりとりを
ツイッターで行っている。
2010年あたりのケロロ軍曹をキーワードに
「ラブライブ」と「キューティクル探偵」の比較を行っても面白いかもしれない。
7話の話に戻そう。
7話のコンテ演出は、酒井和男さん。
これはまた面白い演出家の登場だ。
酒井和男さんは近年で言えば、
「ガンダムAGE」での助監督として八面六臂の活躍をしていた演出だ。
また、私の印象としては初監督作品の「ムシウタ」の攻撃的な仕上がりに
なかなか感銘を受けたというのが強い。
あるいは、腕の良いアニメーターとして酒井さんを記憶している人もいるだろう。
7話のコンテ演出は、これまでのラブライブと同様に、
非常に圧縮率の高いものになっている。
どれだけ話を詰め込んだ、と感嘆してしまった。
しかし、それだけではない。
気になったのは、このカットだった
何が気になったのか。
それは
だた、ドアを閉めていること
だ。
これは驚いた。
これまでのラブライブでは、
そもそも「部屋に入る」というとか「部屋を出る」という描写自体が多くなく
圧縮のために「最初から部屋の中にいるカットに飛ぶ」とか
「いつのまにか部屋にいる」あるいは「いつのまにか部屋にいない」という
ことをやってきた。
あるいは、台詞に被せたり、画面を暗転させてドアの開く音だけさせたりと、
演出的な工夫が施されている。
6話のニコ先輩が髪の毛を下ろしたところ
なんてのはその最たる例で、
「いつのまにか、みんな部屋にいない」のだ。
そんなところはカットやカット(by副会長)、ってところでしょう。
でも、7話の上記のシーンではちゃんとほのかがドアを開けて、
その後にちゃんと花陽がドアを閉めている。
なぜか。
それは私の読みでは
コンテ演出の酒井さんがアニメーターだからだ、
と考えている。
テスト試験から開放され、ラブライブも目指せるという
開放感と喜び、期待感、それを感じるそれぞれのキャラクターのパーソナリティ
そういったものを表現しようとした時に
「芝居」を使うことを選択したのだ。
京極監督も渡邊哲哉さんもそして古田さんも、
コンテからは出来るだけ「芝居」を使わないという
演出家としての心意気が感じられた。
構図やカット割りでどこまで出来るか。
そして、そういったものを積み上げた上で
「ライブシーン」でそれを爆発させる
という構成。
しかし、ここでは芝居を使った。
これが非常に効果的だった。
普通のアニメであれば、普通の表現かもしれない。
京アニであれば、普段からもっと凄い芝居をしているかもしれない。
でも。これまでのラブライブにない表現であったからこそ、
感情が伝わってきた。
この瞬間がスペシャルなんだと伝わってきた。
だからこそ、次のシーンで
「廃校だ」と聞いた時にまた驚く。
彼女らの「順風満帆」な感情を一身に受けたがゆえに。
そう、これはまた構造としてはあの3話と同じギミックだったのだ。
同じ構造だが、手段を、ミスリードの手を変えてきた。
その手段の一端だったのだ。
そんなことを考えながら見直してみると、
7話は扉のアニメであることに気がついた。
6話のラストの引きも扉だったし、
ニコ先輩もラブライブの報をちゃんと扉をあけてもってくる。
こういう扉を使った、コメディもやる。
アニメーターとして、この扉というツールを
「芝居」で非常に有効に使っている。
またこれは単に芝居のためのツールというだけでもない。
「扉」というものの隠喩的な意味合い
つまり、「スクールアイドルとしての次への扉」としての表現も
含まれている。
この7話という話数の構成上の意味が
すなわち扉なのだ。
今まで温存していた「芝居」という表現方法とそれによる感情の発露、
そして、構成上の「扉」の持つ隠喩的な意味合い、
ミクロとマクロの二つの要素が絡みあうことで、
様々な要素がごった煮の様に詰め込まれた
この7話に、一本の糸を紡ぎあげている。
なので、この回の感想をもっとも簡潔に言えばこうなるだろう
「扉」というものの面白さを堪能させてもらった。
と。