ラブライブ9話雑感

自分のことを優れているなんて思っている人間はほとんどいないってこと。
だから努力するのよ、みんな。


そうやって少しずつ成長して、成長した周りの人を見てまたがんばって。
ライバルみたいな関係なのかもね、友達って。


これを聞いて、
自己愛とか自己評価に関しての、
このアニメの立ち位置の表明だな、って思ったんですよ。


多くの人は、自信と不安の境目を彷徨っていて、
「私凄いじゃん!」と「私駄目じゃん……」を繰り返している。


人間、下を見ても上を見てもキリがなくて、
こいつよりは私の方が優れていると思う時もあれば、
この人は敵わないという時もある。


でも、自分の方が優れていると思ってた人にピンチを救われたり、
この人には敵わないという人の弱さがチラッと見えたり。
そういうことを積み重ねて、他者を認識し
自分を相対化し、努力をする。


ラブライブが9人のアイドルユニットの物語であるからには、
その成長にはそういった、「他者観」というものが必要だった。
いわば、「他者観」こそが、ミューズの面々の急成長の根拠となっている。



だから、この物語は「自意識」や「自己観」を重視する人たちには
残酷だろうと思う。


自分が誰よりも優れていると思っていたり、
逆に自分は誰よりも劣っていると思っても周りを見ない人間は
このアニメでは何者にもなれない。
それが作中で表現されているのが
ミューズに加入する前の1年生トリオだし、ニコ先輩だろう。


彼女たちはそれぞれの才能があるだろうが、
自分の内に閉じ込めて、自己愛と自己評価を過剰に肥大させたり、
過剰に縮小させている限りにおいては、
ああいう形で燻っているだけの女の子なのだ。


もし、ことりが「自分には何もない」と言って、
ただ篭っていたら、「伝説のメイド」にはなれなかった。
また、彼女は「伝説のメイド」になっても、
自己愛を満たすことは出来なかった。
多くの客から賞賛されても。
そんなことでは満たされない。
自己のみを考えて
「私が満たされたい」ということを重視している限り、
どんなことをしたって満たされることはない。


だから、彼女はライバルと共に、アイドルをやっているのだ。
そして、ライバルとの別れを恐れている。
ライバル=友達こそが、彼女が満たされるために最も必要なものだから。


ことりが別れを恐れるのに対して、
海未が恐ろしいほどクールに
「それは仕方のないことです」
と言って、
穂乃果が
「ずーっと一緒。だって私、この先ずっとずっと
ことりちゃんと海未ちゃんと一緒に居たいって思ってるよ!」
と返して。


ことりの秘めた劣等観に対する
海未のクールな諦観の気持ちよさ、
穂乃果の意志力のでたらめな力強さ。
それらが組み合わさることの快感。


演劇とは関係性の芸術であり、
アニメもまた同様である、と
実感を新たにした。