ゆゆ式の本質としての「おしりかじり虫」


あるものに対して、それを知っていると、
それに対して付加価値を得たり、何十倍も有効活用できたりするものがある。


人はそれを「本質」とか「コツ」とか「ツボ」とか「カーメン」とか
言ったりする。


私は「ゆゆ式」の1話を見たとき、非常に落胆した。
このアニメの面白さも分からなければ、
このアニメが、どういう意図をもって作られたものかも分からなかった。
端的に言ってつまらなかった。


しかし、ゆゆ式はそのままつまらないアニメではなかった。
2話は面白かった。
冒頭から面白かったのだ。


2話と3話を何回か見て、分かった。
奴らが来たのだ、と。


ネギま!」1期の時の赤松健の言い回しを借りれば
「おしりかじり虫班」が来たのだ。



「おしりかじり虫」はちょっと前に流行った歌とPVではなく、
5分アニメの方だ。
金田朋子の圧倒的な声優力とシュールな演出が見所のアニメ。
シュールさという意味では「て〜きゅう」や「あいまいみー」に勝るとも劣らず、
キチガイ度で言えば、おしりかじり虫の方が上だろう。


これを作ったのが、小島正幸監督率いる「キネマシトラス」だ。


小島監督、そして「おしりかじり虫」のシリーズ構成のピエール杉浦さんが
2話・3話・4話と連続で関わることによって、
この「ゆゆ式」のシュールな面白さや飛躍がアニメを支配するようになった。


2話の冒頭なんていうのは、まさに「おしりかじり虫」演出の延長上。
意味の分からない表現を歌で押し切る
というのは、まさに「おしりかじり虫」の常套手段。
2話のおっぱいを揉むシーンも、
おしりかじり虫からの延長だ。


この「おしりかじり虫」を萌え絵でやるという試みこそが、私にとってのゆゆ式の本質であり、ツボだ。


こう考えれば、
例えば、「おしりかじり虫」の作曲者がOP・EDを担当した「キルミーベイベー」が
ゆゆ式との比較で名前が挙がることもわかりやすい。
この2作のアニメ観の根底には同じものが存在するというわけだ。


おしりかじり班の協力な助っ人を得たことによって、
ゆゆ式は素晴らしいアニメへと化けた。
ゆゆ式とは究極的にはおしりかじり虫だったのだ。
そのことを小島正幸さんとピエール杉浦さんは教えてくれた。


あいがとう!小島さん!ピエールさん!