あいうらは3度刺す第2話


ゆっくりと自分のペースで歩いていけばいい。


というわけで「あいうら」の2話。


相変わらず、「技」を使ってきます。
まずはこれ

このジャンプカット。
最近だとジャンプカットを多用したものとして
たまこまーけっと」10話があれと比較してみれば、
このジャンプカットがどう優れているかがわかります。


それは作品上の意味、必然性を「あいうら」のこのジャンプカットが持っているからです。


まず第一には「時間の圧縮」です。
30分アニメと5分アニメでは時間の価値がまったく違うことは今更いうまでもないでしょう。
限られた時間を有効に使うためには、必要度の低い描写を削るというのが簡単な方法。
しかし、その一方でこの「あいうら」というアニメは
「丁寧な描写」というものをモチーフとしてもっている。


そこで、ミクロな部分での圧縮・省略が要求される。
それはまさにコマごとに編集を行うようなものだ。


「靴を下駄箱に入れる描写」と「二人で歩いていく描写」は必要だが
その間の「手を下ろして向きを変える」という段取り描写は必要がない。
でも、普通に動きとして省略してしまうと、この「あいうら」というアニメでは
「作品の粗」になってしまう。
(例えば「むろみさん」みたいな作風ならそれも「味」になる)
そこでジャンプカットというわけだ。


それだけではなく、第二には「シュールさ」の演出になっているということだ。
ジャンプカットというのは「動いた」ことの演出である以上に
「止まっているもの」の演出である。
つまりは、四つん這いになったままの奏香こそがこのカットの主役なのだ
ジャンプカットによって「時間を経過」させているにも関わらず
そのままの格好でじっと動かずにいる奏香がシュールな笑いを誘う。


「アニメ」において「動かさない」ということは制作者から「無視」されているも同じ。
「オマエは手前で舐めてる椅子と同じくらいの価値しかないよ」と言われてるようなもの。
つまり、彼女は、歩子と岩沢さんに無視されたばかりでなく、
演出家にすら無視されているのだ。


時間の圧縮とシュールさと、そして映画的な映像表現というフックを同時に実現しているという点で、
まさにこれしかないというカットだったと言える。



膝ウラ!膝ウラ!!膝ウラ!!!(ヤマカンの妄想ノオト風に)
やっぱり、「あいうら」の「うら」は「膝うら」の「うら」、なんだよなぁ


この膝ウラの表現はあたらしエロい!
膝のうらについては、例えばアニメエロスの第一人者である長谷川眞也さんの

―― ええっ。ちょっと待ってください。香川さんの『サリー』もエッチなんですか?
長谷川 そうそう、そうなんです。
―― これは新説かも。えーと……肉感的だったんですか?
長谷川 そうですね。玉川(達文)さん、馬越(嘉彦)さんも当時入っていましたし、羽山さんも原画で手伝いで入ったりしてたんですよね。でね、女の子のひざの裏に2号カゲが入ったりするんですよ。
吉松 ははは(笑)。
長谷川 「『サリー』でそんな事するのか!」と思って、もの凄い驚いた。
―― それも、単なる一段カゲじゃないわけですね。
長谷川 そうそう。ひざの裏にポイントで2号カゲが入ってるわけですよ。『魔法使いサリー』でそんなものに期待するやつは誰もいないはずなのに、そういう事をやっている。そういうテクニックを持っていて、必要に応じてそれを出せるっていう……。

http://www.style.fm/as/04_watch/watch12_1.shtml

という先行研究もあり、
「影付け」の技術によって、
その表現は進化してきた。


そして、今、「筋」を描くといういわば発明ともいえる表現が登場したのだ。
しかもこれが動く!
原画は小木曽伸吾さん。
BLEACHでマッチョな絵を描きまくったからこそ出てくる、肉体的なエロス表現。
上の長谷川さんの話で話題になっている「羽山淳一」も同じジャンプ漫画のマッチョな絵を主戦場としていたアニメーター。
世代は違えど、奇しくも同じ構え。というわけだ。



最後はこれ。
あまりに見事なレイアウト過ぎて見惚れてしまった。
レイアウトの判断基準として
A情報量
B見やすさ
C演出意図の伝達性
という3つをよく取り上げますが
この3つのバランスこそがレイアウトの肝。


背景の「十字」による奏香への視線誘導といい、
花瓶の位置といい、
アオリ具合といい、
「このカットで締めるぞ!」という
意気込みが伝わってくる。
奏香のドヤ顔と演出家のドヤ顔がシンクロすることによって、
このカットの「真のドヤ顔さ」が演出されているのだ
このカットはまさに「ドヤ顔演出」の極致だろう。



というわけで、そろそろ出社します。